再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1133:まだいけます?

人は己の限界をいつどこで感じるのか?ということについて考えている。

時間的な制約がある場合もあるだろう。

サラリーマンには定年という明確な時限爆弾が備わっていて、それ以上の年月を会社に捧げたくとも丁重にお断りされるのが世の常となっている。

何かしらの役に立ちそうなスキルの持ち主だったら、在職老齢年金支給額とのバランスという名の下、ひとりのチープレイバーとして活用されるなんてこともあるかもしれない。が、そんな上手く行くケースがあったとしても、役職は剥奪され、正社員とは一線を引かれたもっと下の立場にならざるを得ない。そういうあやふやな重要でもない立場になるのだとしたら、「働き続ける」「いくばくかの収入を得る」という目的は達成できたとしても、それ以外の目的、昇進やら昇給など立身出世の夢は儚くも絶たれ、未達成のままに終わる可能性が高い。

やはり人生には何度かの区切りがあって、そこまでにどんな努力をしてどんなすごい能力を手に入れていたとしても、一旦はいろんなものがリセットされてしまう。また一からやり直し、人生ゲームの「15マス戻る」どころか、すごろくの「スタートに戻る」程度のひどく意地悪な目に合うことになる。「まだ行ける、まだ行ける。」と怨念のような気概だけはあるというのに...。

体力・能力的な限界もあるだろう。

肉体的に衰えて引退を余儀なくされるスポーツマンに限らず、サラリーマンであったとしても老化や病気や怪我により、何かを諦めなきゃならないなんていう話はよくある。

何も衰えるのは肉体だけではない。その場その時に適切なものを取捨選択する判断力だったり、時流に沿った対策を策定するための状況把握や理解力だったり、新しい知見を見つけそれを活かさんとする嗅覚だったり、それを覚えて咀嚼してものにするまでの努力を惜しまない忍耐力だったり。そんな戦う場面に必要とされているあらゆる武器を携えてはいるものの、いつの間にかそれらは劣化し、その性能を存分に発揮させることができず、己自身は単なる時代遅れな代物と化し、肉体に留まらず心や精神までもが萎えて衰えてしまう、そんな可能性がある。

自分もああなりたいと、若かりし頃に目標としてきた人の立つあの場所まで何とか辿り着こうと努力してはみたものの、己の才覚のなさをまざまざと見せつけられて諦めてしまうこともあるだろう。反対に、己の能力を早くから極小化して見積ってしまい、あっという間に目的の地に到達してしまったがために、その後の余生をどう過ごしたらいいものか?と途方に暮れてしまうなんてこともあるかもしれない。後者の場合には夢を見る能力に限界が訪れていたということになるのだろうか。

いずれにしても、「まだいけるのか?」と己自身に問う場面はいつか必ずくる。たとえ本心ではそう思っていなくとも、「...まだ、行けます!」と、そう言わざるを得ない場面も必ずある。

そこから逃げてしまえば楽になれることは解っているのに、そこを通ったとしても何もいいことなんか起こらないかもしれないのに、どちらかというと成功確率は2割、いや1割もあればいいかもって見積もっていたとしても、大博打というか勝負に出なければならない時がある。

ただそれすらも諦め、残された体力や時間とを慎重に照らし合わせ、行けるのか行けないのか迷う機会が多くなった気がする。もしももっと若ければ、もちろん一度や二度の失敗などすぐに取り返すことができるだろう。歳を取るにつれ、失敗すら許されない立場に追いやられ、綱渡りのような緊張感ある場面ばかりを味わうことになってくる。

それもこれも、歳を取るにつれ視野が狭まり、仕事以外の他のものが目にはいらなくなっているからなのかもしれない。

残り少ないサラリーマン人生を、とても叶いそうもない夢への到達に向けて忙しなく生きるよりも、その先の老後という長い時間に目を向けて考えろ、ということなのだろう。それも解るような気がする。

はるか遠い昔に描いた理想が東京タワーやスカイツリーより高くとも、そこに辿り着こうとする欲望は未だ枯渇することなく、例え階段を登る体力や筋力がなくとも、高いエレベータ料金を払うちょっとばかしの財力は手に入れたので、堂々と上り詰めてやろうじゃないか、それが邪道と人様から後ろ指さされるような方法論であったとしてもだ...なんてことを考えている暇があったら、それよりももっと先の楽しいことを考えながら生きたほうが充実するんだろうなぁ。うん、確かに。

それができれば苦労はしないのだが、それでも負けず嫌いで己の負けを頑なに認めたくない人たちは「まだ、まだ、まだ行けます!」って思ってもいないことを口に出してしまうんだろう。

もう誰も相手にしてくれないというのに。

もちろんこの曲から臭ってくるような官能的な意味は皆無。もしそっち方面の話だとしたら「もういけないかも...」なんて悲しくて泣きそうになっちゃうかも、なーんて話は置いといて。