再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1128:キャリア・プラトー

diamond.jp

ミドル世代とか中高年のサラリーマンが陥るのが「このままでいいのか症候群」=キャリア・プラトーというものらしい。

このままでいいかどうかは知らんが、それまでにどんなことをやってきたのかで未来が決まるのだとしたら、すでに取り返しのつかない状態になっているにも関わらず「このままでいいのか」と悩むほど、ボクは暇じゃない。

それまでの人生を振り返って「あの時にこうしておけば」「あのタイミングであれをやっておけば」と人並みに反省することはあるが、だからといって過去に戻ってやり直すことなんてドラえもんにでも頼まない限りできるわきゃないんだから、「これからどうするか」を考えた方がいいに決まっていると切り替えが早いタイプ。深く反省しないから成長しないと言われればそれまでだが、だからといってそれで損をしまくっているとも思っていない。ようするに未だに懲りていないということなのかもしれない。

それでもどっこい生きているのだから、それはそれで幸せということなんだ、と思うようにしている。

中高年サラリーマンの悩み

出世していようが管理職になっていようがいまいが、これから先の選択肢が狭まっているのは仕方がない。残された時間は少いし、加齢に伴う能力減退を押し留めることにも労力を使わなきゃならないんだから。

「自分は本当にこれがやりたかったのか?」などと、サラリーマン人生の大半を使い切った状態で思ったりするものなのだろうか。おっさんにそんな悩みを聞かされたとしても、「そんなん知らんがな」以外のリアクションが思いつかない。そんなに悩むのならとっとと今の状況に見切りをつけて、新しい世界に飛び込んで行けばいいものを、その勇気すらない輩に限って、「悩んでいる俺」を演じて見せようとするからたちが悪い。このままこの会社に留まってそれなりにダラダラと思ったよりも出世もできなかった人生を送った方がいいのか、一念発起して別世界へと身を移し成功するか失敗するかわからないまさに人生を賭けた大博打にでるか、そんなことは他人に相談している暇があったら、とりあえず目の前の納期が迫っているその仕事を片付けてくれませんか?と言いたくもなる。

そもそも「会社だけが人生」とか「仕事が生きがい」って言える人がそんなに多いということなのか?

それすら信じがたい。

キャリアとは何か?

「真面目な人ほどキャリアプラトーに陥りやすい」とある。だったらボクも陥ってもよさそうなもんだが(真面目なの?)、他人の生き様にはそれほど興味もなく自分の人生をそれほど楽観的には考えていないものだから、「まぁなんとかなるさ。定年まで10年は切っているけど、どうせ年金支給年齢後倒しの関係で65歳、いや70歳くらまで働かなきゃならないんだろ?だったら50代で無理せず細く長く生きてやろうじゃないか。」と即断即決してしまう。不真面目なんだろうか。これでも真面目に考えているつもりなんだが。

それにあまりプライドというものがない。仕事は仕事と割り切って考えるので、靴を舐めろと言われれば、「それが仕事ならば喜んで!」とベロベロ舐めるタイプではある。なので、出世欲とかにも無縁で、今の立場で自分がすべきことをするだけで、それを見て誰かが評価しようがしまいが別に関係ない。もちろん、評価されていただけるお給金が少しでも増えるのならば家族(特にカミさん)が喜ぶのでそれを拒むようなことはしないのだが、仮に給料は上がるけど難しいミッションを託されたとしたら、「どうしたら断れるだろうか?」とまず考えてしまう。仕事に対して時間や労力をかけてよかった試しなどないものだから、モーレツ仕事人間へとジョブチェンジすることができなかったんだろう。仕事よりも楽しいことは世の中にはたくさんあるし、仕事はその仕事以外の活動をするための資金源であり、仕事以外の活動に割く時間や労力を大事にキープすることを優先するならば、自ずと仕事に対して割ける時間や労力も限られてくる、というものである。本当に真面目なのか?

それをキャリアと呼ぶものなのかはわからんが、キャリア=生き様とするならば、そんなもんでいいに違いない。ようはそういう選択をしたということであって、それを後悔していないのであれば、別に誰に間違っていると指摘されるものではない。キャリア=出世とするならば、それは人並みに実現できているだけで決して大手を振って自慢できるような話でも立場でもない。だがキャリア=生き様ということなのであれば、自分の中にある軸=判断をごまかさずに素直に従って生きてこれたということには誇りを持っているし、それで周囲の人間が少しでも明るく楽しく元気に過ごしているのであれば、何をもってして後悔することなどあろうものか。

範囲を狭めて「会社・組織の中でどう生き抜くか」をキャリアとするならば、その想いは人によって様々なんだろうが、我々世代はどちらかというと、会社や上司からの指示に素直に従うことで立身出世を目論んできた傾向が強いように感じる。会社や上司の言う事が例え間違っているとしても、それに逆らうことで不利益を被る場面が多いから、そういう生き抜き方をせざるを得なかったのだが、そういう人に限って「キャリアは会社(上司)が決めるもの」という固定観念が頭にこびり着いている。

キャリアは会社が決めるものだとボク自身も考えていた傾向はあるが、行動は伴っていなかったと振り返ってみて感じるところもある。そういう意味ではサラリーマンらしからぬ生き方をしてきてしまった。それは自分の頑固な性格によるものだということも随分と前から理解してるし、それを変えようとも思わなかったし、変えようとして変えられるものではないとも思っている。かと言ってそれで反省も後悔もしていないのだから、キャリア・プラトーなるものとは無縁でいられる自分自身はまだ幸せな方なんだろうと、悩んでいる他人の不幸を肴に今日も酒を飲んでいたりもする。本当に真面目なんか?

キャリアは自分で決めるもの

ところが最近の傾向は「キャリアは自分で決めるもの」という風潮になっている。自分がやりたくもないことをやらされるよりも、やりたいことをやれるように自分自身で勝ち取っていくのが最近の流行りなんだそうだが、50歳を過ぎた30年選手のサラリーマンにいきなり「はい、ここでやり方を変えますから、早く慣れてください。残り人生はあと少しかもしれませんので気の毒ではありますが。」みたいなことを言われても適応できる人は少ないだろう。日本的経営の三大要素の一つである「終身雇用制」が否定され、労働市場はより流動的になっていくのだろうが、中高年のおっさんがそれについていけるかどうか...うーん、非常に怪しい。例えどこぞの転職サイトに登録してみたとしても、今の年収よりもアップして今よりも楽な仕事になど在りつけるワケなどないのだから、無理に現状を否定する必要などない。

今までご主人から毎日餌を与えられていたペットに「今日から自分で獲物を狩って生活してください」と言っているようなもんで、狩猟本能すら退化した元ケモノ現家畜には非常に辛い状況にあるといってもいいんだろう。

だから、「こんなはずじゃなかった」「先も短いのにまだここにいる」と悩むおっさんがキャリアプラトーってのに陥ってしまうんじゃないか。何に悩むかにもよるが、どうにもならない現実に対して悩んでいるのであれば、その悩みは未来永劫続く可能性がある無為なものなので、とっとと切り替えた方がいいだろう。それこそ残された時間を考えたらそんな悩んでいる時間がもったいないという話だ。

自分自身をどう評価するか?

どんなに有能な人であったとしても能力の限界ってのはある。誰もが聖徳太子のように10人が同時に喋っている状況で個々の話を聞き分けることなどできやしない(諸説あります)。今この状況でうまくいっていないと自覚するならば、やり方を変えるか、諦めて現状のまま放置するか。

いま上手くいっていないと感じるならば、それはきっと自分には向いていないんだと考えるしかない。これから勉強してスキルを獲得していつかできるようになると考えるほど、残された時間は多くない。とりあえず後ろ指だけは刺されないように、与えられた仕事を及第点目指して無難にこなすしかない。それも嫌だというならば、やはり自ら別の道を選ぶしかないんだろう。

「上手くいかない」と考えているということは「自分にならできるはずと考えていたが現実は違った」ということなんだろう。自己評価が高すぎたと考え直すのが妥当なところだとは思うのだが、悩み続ける人は自己肯定だけはするから悩んでしまうんじゃないだろうか。本当に自分にそのスキルがあるのか、かつては能力的にできたかもしれないが加齢と共に減退しているんじゃないだろうか、と内向きに問いかけることをしないから、悩むしかないんだろう。

話は変わるが、子供の運動会の親子競技で転ぶのはたいていお父さんだという話がある。お母さんで転ぶ人はほとんどいないらしい。なぜなら男と女で脳の構造だかが違うのが原因ということで、男性はかつての走れた自分を想像して競技に臨むが身体能力が減衰していてついていけなくなり転ぶのだという。女性はその時点の身体能力からどの程度の運動負荷にすればいいのかを瞬時に判断できるので転ばないという。まだあるのだとしたら学研の「ひみつシリーズ」ででも、この脳の仕組みとか構造を扱ってわかりやすく漫画で解説して欲しいのだが、そんな話をかつてどこかの記事で読んだ気がする。

それを考えると、中高年のおっさんサラリーマンがキャリア・プラトーなるものに陥るのも似ているような気がしてきた。

かつて自分が思い描いていた人生を送れていないのだとしたら、どこかでボタンをかけ違えたに決まっている。その時に戻ることができないのなら、その想像していた生き方を一旦リセットして、別の生き方を模索しなければならない。その方が選択肢は広がるし、その中に別の「自分のやりたかったこと」が見つかるかもしれない。この先は行き止まりになっているとわかっている路地を進むよりも、脇道にそれて迂回してでも別の目的地を目指した方がよっぽど有意義なんじゃないか。

若者は...こんなおっさんの戯言など気にせずに、自分の夢に向かって一生懸命努力してがんばってください。おじさんは草葉の陰から応援しています。