再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1185:私は女優

ここ「はてなブログ」というサービスは非常におせっかいなところで、無料のくせにごくたまに「1年前のブログ『11XX:○○○』などを振り返りませんか?」なんていうメールを送ってくださったりする。

自分の書いたブログを後から振り返って読むことを至上の喜びとしている自給自足ナルシストにはそんなことをしなくてもいいのに、ご親切にも定期的にメールを送ってくださる。つい先日もそんなメールを頂戴し、約1年前に書いたブログを読む機会を得た。

bonno.hatenablog.com

この時は、阿部真央さんの「お前が求める私なんか全部壊してやる」という楽曲からオマージュされた内容にて、当時考えていた心情を吐露していた。何があったか知らないが、その時はそんな気分だったんだろうな、なんてことを思う。ほんの1年前のことなのに、自分が何を考えていたのかすでに忘却の彼方であることが、ひどく老化を感じさせたりもするのだが、それが現実だと受け入れることにする。

そして掲題の話。

世の中の人はみな本音を押し殺して生きている、という話だ。

自分の思うまま欲望のままに生きている人なんていない、と思う。何らかの事情やら都合やらによって、自身の希望が通らない人生を歩んでいる。それを無理くり押し通そうとすることも可能ではあるが、それをすると各方面に歪みが生じて別の何かがうまくいかなくなる可能性もゼロではないので、「どちらが自分にとって好都合か?」という天秤にかけた上で最終的な結論を下している。そしてそれはたいていの場合、自分自身が心から望んだ姿ではなく、仮面をかぶったり、与えられた配役を演じていたりするものだ。

「だって、あたし、女優だから!」

これが口癖になっている50代半ばのおっさん。世の中にそう多くはないとは思うので特定されてしまう危険性が伴うのだが、似たようなことを考えたり、常に感じていたりする人は、相当数存在するのではないだろうか。まぁ、その場合は「俳優」の方だったりするんだろうな。なんでおっさんが「女優」やねん。

約1年前のブログに書かれていることを要約すると、「周囲に求められる役回りは本来的には自分が望んだものではないのに、それを演じることを強制されるくらいだったら、その期待を裏切って全部ぶっ壊してやる」というものだった。何に対してそんなに憤っていたのかはなかなか思い出せないのだが、それから1年ほど経過して、その元気すらないほど疲弊している自分になっていることに気づく。

1年前の当時、憤りの原因は自分とは違う自分でいなければならない苦しみにあったように想像するのだが、まだそれは幸せなことだと思う。だって、それだけ自分以外の誰かから期待をされていたということだろう。他人の誰かから「こうあってほしい」と願われていたわけだろう。それだけ期待値が高いということは、期待されているだけまだマシで、それに応えてやりゃあいいのにとも思ってしまう。あまりにも自身のありたい姿とかけ離れていたのか、「そんなの無理」と半ば諦めていたのか。ほんの少し前の自分のことなのに、当時の思いすら思い出せないのも情けない。

「もう、そんな破滅的なこと考えんと、当たり障りなく、周囲の期待に少しは応えるように、もっと無難な生き方の一つもできんもんかなー」ってのが、現時点での正直な心情。どんなに足掻いたって、どんなにジタバタしたって、世紀末は来てしまうのだ。老い先短いサラリーマン人生なら、(自分よりも)若い世代のやってほしいことに応えてやるのも年長者の務め、好々爺でもいいじゃないか。自分がそうすることで、若い人たちのこれからが多少は楽だったり過ごしやすいものになるのだったら、どんな敵役でも悪者にでもなってやろうじゃないか。そんな気分である。

自分よりも上の人の理不尽とも思える仕打ちの歯止めになることもあえての抵抗勢力になることも、それなりのエネルギーが必要だし、それによって引き起こされる将来の不利益が気になってしまうのも理解できる。エネルギーはほぼ枯渇気味でもうそれほど残されてはいないけれども、そもそも期待できる「将来」もなく、残された年限からするとそこそこの到達点はほぼ判明しているから、ここで大人しく傍観者を決め込んでいるよりは「何かに抗っていた方が生きていて面白いのかも」なんてことを考えて、自分でもやめておけばいいのになと思うのだが、誰もそれに対して文句を言わないから、いの一番に声を上げる「ちょっと厄介な中高齢者」ってヤツを意識的に演じるようになってきている。昔は素直な子だったのにねー。本来の自分ではないことは自分が一番わかっているのだが、あえて演じることの楽しさ。まるで昔からそういう厄介な存在であったがごとく、演技にも拍車がかかり、水を得た魚のように生き生きとしてくるから不思議。サラリーマンの世界にアカデミー賞があるのなら、主演女優賞をもらえること間違いない。

いや、だからなんで「女優」やねん。