再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1117:ブログを再開した理由をあえて確認してみる。

この1週間ほど、有り余る時間を弄ぶ中で、己の恥部とも言える昔の文章を一通り読み返してみた。結構な分量なので、ちょっと疲れた。

読み返したのは、ここでの初回にも紹介していた以前書いていたブログなのだが、あえて今回はリンクを張らない。字数を稼いでも仕方がないし、ここの機能を使って単純にリンクを張った時(htmlタグの使い方はすでに忘れてしまったのでこういうものに頼らざるをえない)の見せ方も少し気に入らなかったし。それよりも何も、いかんせん読んでほしいという欲求よりも「こっ恥ずかしさ」の方が勝っているから、というのが最大の理由。とても得意げになって紹介できるようなものではないと少しだけ大人になった自分がとうに悟っている。

だからか、読んでいて余計に疲れたのも。なるほど、納得できる話ではある。

ブログを書いていたことがいいとか悪いとかの話ではなく、当時はそうすることで満足していたし、中には「あぁ、あの頃はそんなことを考えていたのか」と感慨に耽ることができるものもあったりして、当時やっていたこともそれを未だに残していることも別に意味のないことではなく、当初ブログをはじめた目的の一つ「後で読み返してみて、自分がクスッと笑える」というミッションだけは見事に果たしていたってことを再確認するに至ったという次第。

以前のブログの話

せっかく再読してみたということもあるので、少々昔話をしてみよう。

日々の満員電車での通勤時間を如何に有意義に過ごすかに特化した暇つぶしの延長線上にあったものがブログ執筆という行為で、目についたものや読んだ本や食べたものや買ったものや観た映画や聴いた音楽など、ありとあらゆるものをのべつ幕なしにネタにしていた。それこそ、何が言いたいんだか解らない闇鍋みたいな一貫性のない何でもありのオンパレードで、筋の一本通った深いテーマ性などどこにもない。ただひたすらに思いついたことを思いついたままに、あまりよく考えずに素人ながらの勢いと、純真無垢な素直な心情で書いていた...みたいだ、どうやら。

iPhoneとかiPadとかiOSの話が多くて、当時は「いち早く試してみました」的な速報性があったのだろうが、現代に読み返したとしても二束三文の価値もなし。何の役にも立ちやしない。iPhoneを如何に安く購入するかとか、キャリアを渡り歩いてMNPで苦労したかとか、電車の中でiOSのバージョンアップをやってみたとか、今では通用しないし興味が薄れたジャンルの話でもあるので、書いた自分ですらちゃんと読まずに読み飛ばす対象になってしまった。

サッカー少年団の試合や遠征の話は自分の子供と過ごした日々の日記的なもので、自分で読んでるぶんには楽しかったが、他人が読んでも別にどうってことはない話のオンパレード。審判資格取得の話や必要とされる装備の話は検索で引っかかるのか未だにある程度のニーズがある話のようだが、そういう場から離れて久しい自分が読んでも、別に何の参考にもならないから面白いというより当時を思い出して懐かしむ程度のものだった。スポーツ少年団認定員資格を取得する話は現在はルールが変わってしまったが故に、今では何のために後世に残したんだか解らない存在になってしまったが、これも己の懐古趣味を満たす要素だけは十分だった。

多かったのは音楽関係の話。好きなミュージシャンや曲、それらをどうやって聴くかというヘッドフォンや音楽再生機の話。そういえばそうだったなーって懐かしさはこみ上げるものの、今は更に進化して散財している分野の話なので、悪癖を未だに繰り返している自分という愚かな存在に気付かされるハメになり、奇しくもここのサブタイトルを実感することになってしまった。あぁオレってばな~んも変わってないし成長していないのね...的な反省しかない。

今でも通用するなーと思えたのは【戯言】と銘打った永遠のテーマみたいなそれほど高尚ではないけれども哲学的な内容を扱ったシリーズ。あれらについては、当時の考えが正しかったのか、どうしてその思いに至ったのか、そして今はどうなんだろう?と考えさせられるものが多かったし、当時は何に憤っていて何と闘っていたのかということも思い出させてくれたし、それが間違ってなかったから今の自分があるんだということを明確にしてくれたものだった。

また【俺流ライフハック】シリーズに代表されるような内容がくだらなく人をおちょくったものや、微妙に表現や書き方・語り方に変化を持たせる姑息な手段が妙におかしくて、多少は疲れたものの楽しめたし、単身赴任中で暇な夜の時間を無理なく消化することができた...っておい、自画自賛かい。

どうやら、2011年から2017年の6年間もそんな活動をしていたみたいで、しかも当初は毎日新規エントリーを投入しているくらい文章を書くことに没頭していた様子。どんだけ暇だったんだよと、それよりも暇な状態にある今でもそう思ってしまいたくなるくらいの異常なのめり込み方。ネタ探しに困り果ててあちらこちらと奔走し、どうでもいい話を得意の長文で何回にも分割して時間と回数を稼ぐという姑息な手段をしていたり、どうでもいい食レポをただただ垂れ流していたり。そんなにやり繰りに困るんだったらいっその事やめてしまおうかと何度か休載もしてみたのだが、それだと自身の心の救済にはならないことにすぐに気づき、やめておけばいいのに懲りもせずこの悪癖を再開させてまたドツボにハマるという拗らせを何度か繰り返していたことも思い出した。

総じて読むに値しない内容のエントリーが多く、しかも時事的な話は当然ながら今の時代にはマッチもしないし何を言っているんだかよくわからない。それでもあの頃に考えていたことや置かれていた状況などが垣間見え、中には今でも頷けるような内容というか、今の時代にも当てはまる普遍の法則みたいなエントリーも数は多くないがチラホラと見受けられる。中にはキラリと光る慧眼めいたものもいくつか散見された...などと自分で言うのもおこがましいが、当時はそれなりにない知恵絞って捻り出した話だったみたいで、その成果なのか当時は他のブログに引用されたりもしていた(検索したら他人のエントリーが出てきて驚いたりもして)。自分のやっていたことがそれほど無駄ではなかったし、こういうやり方で文章を残す方法もアリなのかな?と再び思い始めている自分がいる。。。っていうのは、ひじょーにやばい状況である。

電車ではなく徒歩通勤になったことを皮切りにこういう類の文章を書くことから疎遠になり、ちょうどブログをやっていたのと同じ時間(2017年から2023年の6年間)だけ静かに冬眠し鳴りを潜めていたわけであるが、辞めた当時からごく最近までは二度とこの手の作業には手を出すまいと思っていたはずで、まさかまた同じ行為をすることになるとは思ってもみなかった、はずなのだが、実際にはじめてみるとこれはこれで面白いというか、何のニーズもないことはさておき、世間に晒すことには多少の勇気はいるけれど、その緊張感を持ってなるべく判り易い表現を多用して、自分の思っていることを記録として残す方法としてのこの手段が自分にあったやり方でもあるんだな、と少しばかり思い直していたりもする。でも、あの時みたいにあくせくしたくはないので、必要以上に気を張らずに暇潰し程度にテキトーにやるのがちょうどいいもんなんだと、再び始めてみてひしひしと確認していたりもする。

なので気が向いた時にしか書かない。他にやりたいことができたらそれが終わるまでには手を付けないし休むのも上等。それくらいのテキトーさでいいのではないかと思っている。

当時とは異なる事情で再開したつもりが、実は同じ「暇潰し」がきっかけになったのもなにかの運命と悟り、自分でも意外だった「ここに何かを書くこと」「今回また書きはじめたこと」について、動機の自覚が少し薄かったこともあり、少し書き物にして残してみたくなった。

あまり他人様向けの説明に向かないテーマではあるし、自分で読み返した時に理解できる程度のゆるい表現を多用することになるかもしれないが、あくまでも記録として自分勝手に書いてみることにした。

ブログを書かなくなってからの回顧録

2017年3月16日を最後にブログ執筆から疎遠になった後、その足跡についても振り返りついでに記録として残しておくことにする。思い出すのにもひと苦労だが仕方がない。これが必要な儀式なのだから。

実際に、前回のブログを辞めた直後の2017年4月から単身赴任生活が始まっている。以来6年間、ふだんは家族とは離れて生活しており、「自分が自由になる時間=何をしたらいいか解らない時間」が単身赴任をする以前よりも格段に増えている。今ではそれを持て余すくらいの無駄な時間になっているから今回の執筆再開に至ったわけだが、その心境に至るまでになぜに6年もの歳月を費やしたのかを少しばかり紐解いてみることにする。

最初に訪れた群馬では、住んでいた場所が公共交通機関から少し離れていて不便な土地だった。会社へは徒歩で行ける距離なのだが、買物をするのにも車が必要ということで、軽自動車を購入。徒歩の最中も車の運転中も文章を書くことなんてできないので、当然ながらブログからは自然と離れることになる。

自宅の埼玉へは車で1時間半程度で帰れる距離であり、週末ごとに地元に戻り、サッカー少年団のコーチ業を続けることが出来ていた。平日の仕事が終わった後は週末の練習や試合のことで保護者とのメールのやり取りやら、相手チームのコーチとの試合時間や場所確保などの調整や主催団体への試合ルールの確認やら、それらに向けた練習プランを練るなどの作業など、やらなければ行けないことが多々あり忙しく、週末は週末でそれらを試す実践の場へと繰り出しており、単身赴任以前と同様のそれまでと何ら変わらない忙しさが日々続いていた。ただ単に、電車に乗らなくなったので潰さなきゃならない暇がなくなっただけで、おそらくはそれまでは片手間で蔑ろにしていたことにそれなりの力を注げていたのだろうと思う。平日夜は誰かの目を気にすることなく、当時はまだ問題視されてもいなかったレ◯パレスの狭くて壁の薄ーい部屋で静かにでも一心不乱にPCに向かってメールやらメモやらの作成に勤しみつつ、練習プランや試合での作戦を練るための本を読み漁ったり、少年サッカーコーチの心得を取得するつもりでコーチングを独学で学んだりしていた。休日は休日で土曜日の朝に早起きして約60kmの距離を1時間半ほどかけて車で移動し、朝の8時過ぎには埼玉の小学校の校庭に着いて子どもたちを迎えるところから始まっていた。土曜の午前中は練習をしたり試合をしたりして、午後から翌日曜日の午前中までは家族と過ごし、日曜の午後からまた練習or試合をした後、シャワーも浴びずに群馬へと車を走らせて急いで戻り、夜21時過ぎからシャワーを浴びて晩飯を食べてそして寝て、翌月曜日から金曜日までは仕事をする...という生活のルーティーンをただただひたすらにこなす。ほぼ体も心も休まる暇はなかったが、当時はその生活が苦でもなんでもなかった。2017年4月から小学校4年生の子どもたちを受け持って以来、2020年3月に6年生として卒団するまでの3年間、彼ら彼女らと濃密な時間を一緒に過ごすことができていたからだろう。自分の子供がいるわけでもないのにそんな満足感に浸れるのも、袖振り合うも多生の縁ではないが彼ら彼女らの多感な時期をともに過ごし、成長を見守ることができたからだろう。その貴重な体験は今のボクにとっても宝物であり、その期間にはそれなりの報酬(金品的なものではない)を受け取ることもできた。近隣の女子選手を集めて監督が作ったなでしこチームは、ポッと出の新興チームながら2年目に県で準優勝して関東大会でも負けなしの成果を得られた。男女混合チームでは6年生の12月に、とあるスポーツ専門店主催の関東代表(ただし荒天過多により抽選でたまたま選ばれただけという強運にてゲット)として、大阪万博会場近くで行われた全国大会にも遠征することができた。他の地域からは予選を勝ち上がった強豪チームが参戦していたので、当然ながら1勝もできずの同率最下位で終わってしまったが、子供らにとっては何ものにも代えがたい貴重な体験だったようで、その後の中学生(中学総合体育大会など)における大活躍の起爆剤になったとも思っている。そういう教え子たちの目覚ましい活躍を遠く離れた地から見守る楽しみを覚えてしまったが故に、ちょうどこの春から高校生になる子どもたちがまた新しいステージで活躍する姿観られるかもしれない=いずれ何人かはインターハイや冬の選手権に出場するのではないか?という密かな期待を抱かずにはいられない。今度地元に帰った際に、3年ぶりに保護者の方々にお会いする機会があるのだが、それぞれの進路を教えてもらう約束になっており、それも今から楽しみで仕方がないのである。

2020年4月に名古屋に住むことになったのだが、名古屋から埼玉はただただ単純に遠かった。距離という物理的な制約ができてしまい、群馬で味わっていた充実した日々からも自ずと離れることになる。ちょうど新型コロナウイルスが日本に蔓延しつつある時期でもあったので、容易には地元の埼玉に戻ることができないという特殊な事情もあったが、受け持っていた子供らを卒団で送り出し一区切りついたタイミングだったということもあって、サッカー少年団からも距離を置くこととせざるを得なかった。誰からのものとも分らぬ無言の圧力もあって県境をまたぐ移動が憚られていたこともあり、家族に会いに帰ることすらままならない時期でもあった。当初は単身赴任先の名古屋でも生活必需品の買物以外は自粛をせざるをえない異常事態が続き、たしか2020年のゴールデンウィークの連休は、名古屋のワンルームマンションにずーっと籠もらざる得なかったんじゃなかったっけか。そんな時にブログを再開してもおかしくなかったのだが、何故かその考えがその時にはあまり浮かばなかった。思い返してみると、世の中がそれどころではなかったという状況でもあったのだと思う。呑気にブログを書いてそれを世間に披露していたりすると、どこかの誰かから糾弾されるかもしれないというリスクを勝手に感じていたのかもしれない。あの東日本大震災の時ですら克明に記録として文章を残していたことなどすっかり忘れており、このパンデミックで起きた様々な事象を記録していなかったことが、今更ながら悔やまれるな。代わりに、単身赴任先の部屋から出られない=溜まりに溜まったガンプラの山を崩すよい機会という思考が先行し、飽きもせずにただひたすらプラモ製作に勤しんで誰とも会わずに週末を過ごすことが習慣となっていた。そのうち、巣ごもり需要のせいでガンプラ自体が市場から消えてなくなる品薄状態となるのだが、職場から歩いて数分のところにGUNDAM BASE SATELLITE NAGOYAというガンプラの聖地があるという恵まれた環境だったこともあり、常に豊富な在庫を抱えていたせいかガンプラを作ること以外に楽しいことなんてないんじゃないかという極端すぎるほどののめり込み方をしていた。作っては飾る作っては飾るという単純作業をただひたすら繰り返し、これまで生きてきた人生の中で飽きもせずにこれほど一つのことに集中してのめり込めるものなのか?と自分でも思うくらいの自堕落な生活をしていた。そんな部屋に籠もる生活が続くと今度は外に出てみたくもなるというのが人間の身勝手なところで、誰とも会話することも密に接することもない手段として、外に出てひたすら街をただ一人歩く「散歩」という行為を選択することになる。年齢50を過ぎたという自意識も過剰に働いたせいか、いつか埼玉に戻った時にまたサッカーのコーチや審判をやれる程度の体力は維持しておかなければという勝手な使命感も手伝い、週末ごとに10~20km/日程度の長距離散歩を繰り返していた。運動した記録を残すと保険料が安くなる生命保険プランに変更したということも外出=運動という単純な思考に拍車をかけていた。ここで部屋に籠もってブログを書いてブクブク太るなんて選択をしなかったのは必然とも思える。

そして22年11月、今度は福島県へと引っ越すことになった。単身赴任生活をはじめて3回目に訪れた地となるが、その引っ越しがとにかく面倒だった。名古屋での巣ごもり生活が功を奏したのか災いしたのかやたらと余計な物が増えてしまい、ひとりきりでの荷造り荷解きの重労働が肉体的にも精神的にも堪えた。そのせいで福島に越してきてからはガンプラ製作なんていう細かい作業をする気には一切ならなかった。なんなら、作りためてひとつひとつ丹精込めてプチプチで包んで後生大事に持ってきた愛しいガンプラを、ニトリで買ったカラーボックスにこれでもかと並べるところから荷解き作業が始まっても良さそうなもんなのだが、カラーボックスは今も空の状態で、愛しいガンプラたちは未だにダンボールの中に眠っている始末。その作業をし始めたら止まらなくなるだろうという自覚はあるものの、果たして楽しみながらそれができるかどうかが怪しいと感じていることもあり、なかなかそちら方面には手が伸びない。荷解きは生活必需品などの必要最低限な範囲で一段落してしまった感がある。新しい見知らぬ土地ということもあり、体力作りのための長距離散歩は苦になるどころかむしろ楽しんで積極的に継続している。2時間程度で10kmをこなせる周回コースはすでに2つほど開拓しているし、月に1度のウォーキングイベント用に20kmの周回コースもつい先日完成させた。それぞれのコースの途中で立ち寄る買物スポット(スーパーマーケット)や小休止のための灰皿の位置もほぼ完璧に把握することも済んでおり、多少の荒天にも寒さにもめげないようにと購入したUnderArmorの防水防風ニットVer.2.0の上下さえあれば、多少の寒さや小雪でも堪えないことも確認できた。あとは途中途中にある美味そうな白河ラーメンやら喜多方ラーメンやらの店の誘惑に如何に負けずに運動だけを楽しむかという課題と、雪が積もったアスファルトの歩道を滑らずに歩くGORE-TEXのトレイルラン用シューズが少し高くてまだ購入できていないという事情だけが残っている状態である。

作業ベースでの比較

比較対象がガンプラ製作と散歩というのがかなり特殊な状況だとは思うが、それが現実なのでこのまま身勝手な話を進めることにする。また、サッカー少年団でのコーチ活動への復帰については現段階ではまだまだ困難な状況にあることから、割愛させていただくことにする。

基本的にガンプラ製作は、テレビや録りためたビデオを観ながらのながら作業でも容易に作業を進められる。見るテレビ番組もビデオも根気と集中力がいるようなドラマや映画ではなく、観ても観なくても特に支障のない内容のバラエティや情報番組に限られるのだが、BGMのような感覚で同時進行でガンプラ製作とTV用HDDの空き容量を増やすというタスクを同時に消化することができる。当然ながら、BGMとしての音楽でもまったくの問題なし。手を休めてお菓子をつまんだり眠気覚ましの珈琲を入れに席を外すことすらも、一旦の小休止・気分転換として機能的に作用する。いつまでに完成しなければならないというノルマもないし、飽きたら途中でやめてプラっと外に出てしまっても何の問題もない。だから休日の有意義な過ごし方暇潰しにはもってこいであるし、たとえどんな出来であったとしても完成させた時の満足感(ガンプラ好きならではの自己満足以外のなんでもないが)は堪らないものがある。ただ、大きさは違えどそのほとんどの作業手順が同一であるため、そのキャラクターへの思い入れやバンダイの技術力進化などへの興味がないと、連続不断で継続することが難しい。実際に、ここ福島に来て比較的簡単な部類に入るHigh Grade1/144のガンダムマークⅡ ティターンズバージョンのいわゆるリバイブ版を試しに作ってみたのだが、すでに過去に何度か製作したことのある姿形の色違いであるし製作過程は経験済みというものだから、なかなか熱が入らず予想外に余計な時間がかかってしまったという実績もある。バリ取りして墨入れして付属のデカールを貼っただけで完成というお手軽作業というか手抜き作業にしてみたが、この先スジボリや合わせ目消しや後ハメ加工しての塗装などに凝り始めるといつ終わるかわからない高難度な作業にもなってしまうし、素組み程度では満足できない中級モデラーであるからが故に使いこなせるかどうか解らない工具に手を出してしまうという行為をしてしまいがちな危険性も孕んでいる。この趣味はプラモデル本体以外の金銭的負担が大きい趣味でもある。故に、長続きすることもあれば、飽きて相当な期間放置してしまうことにもなりがちであり、現時点では個人的には熱の入れようが難しくなってきた暇潰しの手段であることを今回改めて確認した。

続いて散歩であるが、これは未だに暇潰しと老化防止を兼ねた効率的な作業として長い間続けている習慣になっている。それほど長時間続けるほどの屈強な肉体の持ち主ではないので、それ以外の時間でブログを書くことができるはず。その役割分担を阻害するものではないはずなのであるが、実はこの「散歩」に夢中になり時間をかけすぎてしまったことが、ブログ再開を阻んでいたことに、今回書き進める途中ではたと気づいてしまった。そもそも歩きながらはブログは書けないので、散歩とブログ執筆は決して共存することのない相反する作業で、散歩を選ぶかブログを選ぶかで競合することになることだけは確かだ。だから、現時点では、散歩もするしこうしてブログも書くという何とか一挙両得を目指しているわけなのだが、二兎を追ってどちらも中途半端になることだけは避けなければならないと思っている。この「散歩」についてはもう少し時間をかけてジックリと暇潰し行為としての有効性について語りたいという勝手な欲求もあり、ここでは極力核心に触れないでおくことにする。

ということで、ここまで書いておいて何なのではあるのだが、もう少し「散歩」について深く考察しなければならないことも解ってきたので、今回はこの辺でお開きとさせていただき、次回にその続きを語らせていただくこととする。