再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1118:散歩のススメ

前回からの続き。

おいおい、更新ペースがはやくないか?とも思ったが、これはただ単に気が向いたのと、前回で終わらせることが出来なかったのでいきおいで書き進めて見たと言うだけの話で、この後また長い冬眠に入るかもしれないし、すぐに次の話をするかもしれないし、自分でもよくわからない。更新はあくまでも不定期に行っていくつもりである。

裏のテーマは「なぜ凝りもせずにまたブログを書きはじめたのか」というものになるのだが、今回はタイトルどおり「散歩」についてまずは話を進めることにする。多少は前回と重複する部分も出てくるがそこはご愛嬌、笑って許してやっておくんなまし。

齢50を超え、加齢による体力減退を阻止してみせようぞと意気込み、何らかの運動めいた行動を己に課してサッカー少年団の活動で培った歳の割には同世代に比べて動ける身体を何とか維持しようと考え始めていたのが、今から約3年前にちょうど名古屋に居を移した頃だった。物理的距離という制約もあって地元埼玉でのサッカー少年団への活動参加を断念せざるをえない状況でもあったため、時間があったら少しでもいいから身体を動かしておかないとたぶん大変なことになるんじゃないかという強迫観念も手伝ってのことだった。

だが、別にとある競技の現役選手でもないし、これからオリンピックを目指そうなんて思うわけないし、マスターズとかのシニアの大会に出ようなんて思ってないし、そんなだいそれた夢や希望を持ち合わせていなければ、あわよくばなんていう野望すらも抱いてたりなんかしない。ただただ、お手軽お気楽にできて、できるならお金もあまりかからない(いかんせん常時お小遣いが心許ないもんで)、なおかつ運動で身体を鍛えるだけでなくその他に何らかの効果・効能を伴う一石二鳥も三鳥もイケそうな運動って何かないだろうかと、考えて思いついたのが「散歩」だった。

えっ?よりによって「散歩」なの?

そう、「散歩って運動なの?」と思う人もいるかもしれない。だが、ここでいう「散歩」ってのは、貴方の想像している雪駄やサンダル履きでプラプラとスローペースで「うぁああああ」と叫びながら街を徘徊するアレではない。

このリンクの意味がわからない人は全巻買って読むように。

「散歩」とはいっても、それなりに汗をかいて筋力を鍛えて持久力もつけて老化も防止する、そんな目的を果たさなければならない。そうなると運動の強度としてはウォーキングないしランニングくらいの負荷をかけるものにする必要がある。ただし、残念ながらこちとら歴が30年以上という筋金入りのヘビースモーカー。最近は電子タバコのみになった(←何の免罪符?)といっても長きに渡る悪癖を未だに止めようとしない鉄の意志を持つ鋼の初志貫徹男。もはや喫煙はライフワークといっても過言ではない。そんな習慣をやめられないもんだから、極度に心肺機能を酷使するような激しい運動、例えば1,500m走とか5,000m走とかハーフとかそれ以上のフルみたいなマラソンのような運動だけはご勘弁願いたいと叫ぶ自分がいたりもする。

だから、散歩以上ランニング未満というちょうどいい立ち位置の「ウォーキング」でいいんじゃないかと思うのだが、タイプだろうがフリックだろうが入力しやすい「散歩」でいいんじゃないかということで、ここでの呼称は「散歩」に統一させていただくことにする。50を過ぎたおっさんのやることだから、カタカナで書くほどシャレたもんでもないしな。

思い立ったが吉日とばかりに重い腰を上げたのが、いまから遡ること3年前の話、というのは先程も書いた。ちょうど新型コロナウイルス感染による三密回避が声高々と叫ばれ始めていた頃で、県を跨いだ移動をすることがヒトデナシの所業みたいな同調圧力甚だしい時だった。ゴールデンウィークの長期連休なのに地元に帰省することも許されず、単身赴任先に釘付けにならざるを得なかったが特にやることもなくて暇だし、引っ越した直後で財布の中身も寂しかった。そんな個人的事情や時代背景もあり、団体行動よりも一人孤独に己と向き合うスポーツ=散歩がベストチョイス、最善の選択だということに確信を持っていた。まぁ決してイコールで結ぶもんでもないんだけど。

さて、たかが「散歩」といっても、ただ歩くだけじゃなくて先に述べたようなクリアーすべき点を念頭に取り組まねばならない。

まずは、適度な強度の運動である必要がある。普通に歩くよりも少しはやいペースで、軽くいやかなり汗をかくような強度をなるべく長い時間続ける必要がある。一般の人が歩くペースというのが1時間に4kmだと言われているから、それよりも少し早歩き、10分で1km=1時間で6km(時速6km)くらいが目安になるだろうか。それを翌日に深刻なダメージが残らない程度のできるだけ長い時間続けるのが理想。

あまりお金がかからない方がいい、という要望も叶えやすい。特別な道具を必要とするものでもなく、上はTシャツ、下は短パン、履くのは適当な運動靴(スニーカー)で構わない。肌寒くなったらジャージでも着ればいいし、寒さ厳しい季節には防風のウィンドブレーカー的なものがあればいい。サッカーの審判とかコーチをやっていたから、その辺りのグッズ類はすでに所有しているので、「散歩」を始めるにあたっての障壁は少ない。靴はマラソン42.195kmを3時間以内で走れそうな厚底の高そうなシューズなんていらないが、できれば足の底にやさしい靴がいい。理由は後ほど。

ただ歩くだけなのも飽きそうなので、生活必需品であるWalkmanとワイヤレスイヤホンは必携。ノイズキャンセリングは危ないのでオフにしつつも、バックグラウンドミュージックがあるとないとじゃノリに大きな差がでてきちゃう。あと知らない街の知らない道を往くのでGPSと地図は必須だからスマホも持ち出す必要がある。どこをほっつき歩いているんだと自分の位置は常に把握しておきたい。あとは運動している時間と歩いた距離と歩数と消費カロリーなんかを計測できるスマートウォッチ的なものがあれば尚よし。令和の時代になったとしても「平成の無駄遣い王」の名は廃れてはおらず、左手にはApple Watch、右手にはFitbitのオシャレ万歩計を装着すればほぼ完璧。夏場には熱中症に気をつけなればいけないので、キャップとサングラスとお財布だけは忘れないようにしたいものだ。

あとは、身体を鍛える以外の副次的なものがあればいいんだが、やる前から何が起きるかわかるわけないので、あまり大きな期待はせずにまずは始めてみることにした方がよさそうだと思い直した。まぁせっかく街をあちらこちら歩き回ることになるのだから、いろんな方面に足を伸ばしてこの街に何があるのかを把握したいし、ついでに食材とか日用品とか買物もしたいし、できれば美味しそうな店なんかも見つけたい。運動するんだし、少しくらい美味いものを食べてもバチは当たらんだろうしな。こういう時代だからエコバッグが入るくらいの小さいリュックを背負って歩くことにしようか。

と、そんな軽いノリで、まずはやってみることにした。

散歩を実践した結果と効果について

凝り性ではあるが忍耐力がある方ではないのにも関わらず、飽きもせずに毎週末の土日や祝日に散歩を3年間も続けることができているので、ひとまずは習慣化に成功したということなのだと思う。その経験をしてみた上で、どんな成果というか効果があったのかについて、ここで明らかにしておきたいと思う。

時速5.5~6kmのペースで2~4時間程度、距離にして10~20km程度の散歩を続けられている。散歩の途中で灰皿が置いてあるコンビニで一服する休憩を1~2回を挟んではいるが、途中で食事をするケースはまずない。散歩を終えて家に戻ったら、42℃の風呂に10分入って冷たいシャワーを浴びて5分程度休むを4回繰り返す(つまり約1時間)。これを3年間続けてみて、という話をすることになる。信憑性があるかどうかは各自でご判断いただきたい。

まず、とてもいい暇潰しにはなった。知らない道を歩いてどこに出るのか?という探究心も満たされたし、スマホの地図と照らし合わせて、新しく住みはじめた街の詳細を知ることにも役立っている。ただただほっつき歩いているのと違って、土地というか場所を正確に把握することで、生活面で得た情報を活用することに成功している。

また、歩いている時に音楽を聴いてはいるのだが、ジックリと音楽に向き合うこともできれば、単なるBGMとして気にしないこともできる。音楽に集中していない時は常に頭の中はクリアーな状態なので、身体は動かしていても何も考えていなければ暇な状態になってしまう。なので、仕事のこと、家族のこと、気になっていることなどを、道を間違わない程度に考えながら歩くことになる。一人で歩いているので誰かの余計な邪魔が入ることなく集中して考えることができるので、懸案事項に目処がついたり、悩みが少しばかり解消されたり、考えが一つにまとまったりと、意外にも頭と心の整理もできることに気がついた。思いついたアイデアなどは忘れてしまわないようにスマホにメモれば良いのだ。ただ歩いているだけよりも時間の有効活用にもなる。

次に、腰痛が多少改善された。これは行きつけのカイロプラクティックの先生の受け売りなのだが、歩く時には顔を上げて胸を張る姿勢を正しく保ちつつ大股で歩くと大腰筋などのインナーマッスルが鍛えられて骨盤が安定するようになり腰痛になりにくくなる、ということだった。平日はデスクワーク中心の座りっ放しの生活だったとしても、行き帰りの徒歩通勤と週末の散歩で腰痛になりにくい身体が出来上がったみたいだ。もちろん、たまのご褒美にカイロプラクティックやマッサージには定期的に通うようにはしているのだが。あと、大腰筋というインナーマッスルが鍛えられたこともあり、肋骨の下あたりにエクボのような窪みができた。皮下脂肪なのか内臓脂肪なのかは解らないが、ある程度の脂肪も燃焼してくれているようだし、よい姿勢を意識したことで、背筋や腹直筋なんかもある程度は鍛えられたのかもしれない。

ただ、人生いいことばかりでは終わらないのだ。

尋常ではない長距離の散歩をこなすと、いいことばかりではなく少しばかりの弊害が生じてしまうこともあるので、少しばかりご注意いただきたい。

まず、歩き過ぎると足裏が壊れることがある。足底筋膜炎や中足骨骨頭痛などの怪我が発症される恐れがあることを忘れてはいけない。ボクの場合はすでにサッカー四級審判員をしている頃からの悩みであるのでどうってことはなかったのだが、これらの怪我を治す方法が「安静にしていること」なのだから困りものである。歩かないで安静にしているなんて、日常生活を送るなと言われているのと同義になってしまい、いったいなにせぇっちゅーねんてことになる。一度罹患してしまったら当面は足裏の痛みとお付き合いしなければならないということを覚悟しなければならない。

また、ふくらはぎが異様に発達して太くなることも覚悟しなければならない。ヒラメ筋と言われるふくらはぎの筋肉が大きくなり、ほぼすべての長ズボンが履きづらくなり脱ぎづらくもなる。細身のパンツは履けたとしてもパツンパツン、脱ぐときは必ずといっていいほどズボンは裏返しになり、大抵の場合は裾を手で引っ張らないと脱ぐこともままならない。ただ、立ったままズボンを脱ごうとした際に片足立ちになったとしてもあまりブレることのない体幹を自然に手に入れたことにも気づけるので、一長一短だと思うこともできる...いやできないか。

更に、運動が習慣化されるのでダイエット効果にも期待が持てるはずなのだが、思いの外ご飯を美味しくいただけるようになるので、大して痩せないという罠にも気をつけていただきたい。自らに強い自制心さえあれば回避できるデメリットなので、心していただければと思う。ただし、散歩の後のみたらし団子は格別であることも覚えておいた方がいいかもしれない。

あと、お金があまりかからない運動だと思っていたが、思った以上に出費がかさむことがある。まず靴がすぐにダメになる。足裏の痛みを解消するために、ソールがそこそこ厚いクッション性のあるスポーツシューズを選んで履いて歩くのだが、すぐに靴底がすり減ってしまい、3ヶ月に一足の高級シューズを履き潰すことになる。サッカー少年団の子どもたちも練習すればするほどトレーニングシューズを履き潰すので親御さんの出費が嵩むのだが、それと同じ現象を親である自分も味わうことになるとは思わなんだ。なので、それほど高くはない適度な運動靴をチョイスして運動を継続することをおすすめしたい。

ということで、最近はこれ一択である。

Amazonのリンクを貼って入るが、コイツを四半期ごとの直販セールで30%オフで都度購入するのが通、という説もある。

www.hoka.com

バージョンアップするたびにソールの耐久性が増している...と信じたい。色は何でも構わない、オシャレしたいわけではないし。サイズがあって安くなっていればそれだけでハッピー&ラッキー&ゴーである。

アシックスのゲルが入ったソールにも興味があるのだが...いや、高そうなのでやめておこう。

さて、本題。これとブログに何の関係が?

最後に、本題に触れておこうと思う。

当たり前の話なのだが、散歩をするとブログを書くことから離れることになる。散歩で歩いている最中にブログなど書けないのは当たり前の話ではある。なんせ歩いているんだから。歩きスマホは危なくて自らそんな危険を犯すこともない。

だったら散歩が終わった後にブログを書けばいいのだが、風呂に入ったりして、そんな作業めいたことをする気も失せるので、なかなか思う通りにはいかない。それに、前述したように「散歩をしていると頭がクリアーなので、あれこれ考えてしまう」ことにより、ブログを書いて自分の考えを整理する必要がなくなる。何のためにブログを書くのかその目的にもよると思うのだが、ボクの場合は自身で考えていることや頭の中のモヤモヤを整理してアウトプットするためにブログを書くという行為を長きに渡り続けてきたという経緯がある。過去のブログを眺めてみても、あの時何を考え何に悩んでいたのかが解るエントリーがそれほど多くはないものの散見された。書いて書いて書きまくることで、自分の考えがあっているのか否か、進む方向が正しいのかどうかを都度確認していたようなのである。それが文章を書く行為の目的でもあり、それを記録として残す行為がブログだったのだ。ところが、散歩の途中に考えメモを取ることでそれが解消されてしまったが故に、ブログを書くという習慣が廃れ、長い期間そこから離れることになっていた。

散歩にそんな効能があるとはつゆ知らず、思わぬ副次的効果によって、それまでの癖が思わず変容していたということに、最近になって気づいてしまった。

いろいろ調べてみたら、こんな科学的根拠もあるようなので、おそらく間違いではないと思うんだけどなー。

www.vogue.co.jp

散歩することにより、頭の整理ができ、メンタルまですっきりするのであれば、ブログなんて書く必要がなくなるってな話。

以前のブログでも、こんなリンクを張っていたことがある。

www.lifehacker.jp

創造性が高まり、あれやこれやの悩みが解消されていたのだとすれば、それ以上何をするでもない。あとはただひたすら休息することに時間を費やしたくもなるものだ。ブログを書くという疲れる作業をする気も失せることにも頷けるってなものだ。

なお、以前にこれを引用した時は、「だったらあのお笑いコンビはもう少しネタが洗練されて売れてもよさそうなのに」というコメントで終わっていたのだから、救いようがないアホさ加減である。あの時に気づいていれば、恥を晒す醜態を見せ続けることもなかったというのに...。

ということで、書くことではなく、歩きながらアレコレと考えることで頭の中身が整理されたというのが理由でブログ業界から足が遠のいていた、というのが今更ながら気がついた真相ってことになるようだ。どうやら心の救済策がブログ→散歩へと変わっていたから、ということなんじゃないかな。

では、なぜまたここにこんな文章を書くようになったのか。

うーん、たぶん飽きっぽいB型だから、散歩に限界を感じはじめていたのかもしれないし、新しい土地に来て、歩きながら考えるよりも、土地に慣れることに重点を置きすぎて、実は考え事があまりできていなかったり、頭の中身が整理できていなかったり、悩み事が解消できていないのかもしれない。

今回、またまたこの「書く」という行為をしてみて、これはこれで面白いし、時間も潰せるし、平日の夜には散歩はできなくても書く作業を進めることができるので、「おやおや、これはアリなのかな?」と、そんな流れになっている。

実は今日も小雨降る中ではあるが、12kmほど散歩してきた後にこれを書いている。今日の散歩はとある新譜を入手したので、そいつをリッピングしてWalkmanに転送して歩きながらガッツリと向き合うことをテーマにしての散歩で、それ以外のことは考えずに歩いていた。だからというわけではなくが、ここでこうして書くことが必要な状態になっているのではないかと思う。またいつ飽きてしまうかわからないのだが。