再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1130:嘘による記憶の改竄

 

gigazine.net

よく聞く話である。

嘘をついてついてつき続けて、いつのまにか嘘の出来事が真実を上書きしてしまうなんてことは、おそらく誰もが体験している。たぶん「勘違い」みたいなものもこれに含まれるんじゃないだろうか。

理想の自分を想像して、でもそれには程遠い現実を突きつけられて、嫌になってまた妄想して、いつの間にやら気持ちよくなって、もう本当のことなんかどうでもいいから、自分にとって都合の良い虚飾の世界を楽しもうとして、己の内の深い深いところへ引きこもったとしても別に悪い話じゃない。他人に迷惑をかけたり巻き込まなければ、という前提のある話ではあるが。

人はみな身勝手なもの

先の記事は、そんな誰もが体験するような話ではなく、脳の機能的な欠陥とも言える「知覚のミス」についての研究のようだ。

Otten氏は、「たとえ短期間であっても、私たちの記憶は完全に信頼できるものではないかもしれません」「特に、世界がどうあるべきかという強い期待を持っている場合、記憶が少し薄れ始めると、それが数秒後であっても期待に基づいて記憶を補い始めるのです」「つまり、正しく対象を見たにもかかわらず、それを記憶した途端におかしくなってしまうのです」と述べています。

いわゆる「先入観」とか「思い込み」みたいな話なのだろうか。人は自分の都合のいいように事実を捻じ曲げる、そんな話なのだと理解した。己のしたことを棚に上げて、どの口がそんなことを言ってるんだか、なーんて話なんだろーな。

いわゆるハラスメント的な話も、こういったことが原因なのかもしれない。自身が育った環境とか時代とか、自身が経験したものにしかすがる術がないから、どうしたって「あれはいいものだ」もしくは「自分も経験して糧となっているのだから、ぜひ若い人たちにも!」となってしまい、他人にも自分の辿った同じ過程を経験させようとするのだろう。余計なお世話以外の何ものでもないったらありゃしない。

それが例え親切心だったとしても、背景が異なることによる時代錯誤みたいなものが頭の片隅にすらないことによって、ほぼ半強制的に味わうハメになる人にとってみたら、それがほぼ断りの効かないものとして受け止められることになる。その他人の想いや気持ちを理解できていないから余計にタチが悪い。しかもそれが立場的に上位者による行為であるならば、厚労省の言うところの類型にバッチシ当てはまったりもするから注意が必要。

そういう話によくあるのが「良かれと思って」とか「そういうつもりではなかった」という無自覚。その鈍感さは自身の想いだけしか拠り所のない身勝手さが生み出すものであり、決して相対する他人の心情なり心持ちなりを想像することすらできない人が陥るもの。それは間違いであるといってもおそらくピンとこない。ピンとこないどころか、さきほど繰り広げられていたはずの事実ですら認めることがない。というか、いっそのことなかったものとして記憶から抹消したり改竄したりする。そして、懲りずにまた同じような過ちを繰り返す...。もう救いようがないとしかいいようがない。

思い出の美化

過去の出来事を必要以上に美化しようとすることも多い。おそらく、最初はほぼ事実に基づいた認識であったはずなのだが、同じ話を何度か繰り返していくうちに余計な修飾を施してしまうことがあったりもする。「あれ、こんな話だったっけか?」と思うこともあるのだが、小話として少しは面白みがないと酒の肴にすらなりゃしないもんだから、別に誰に迷惑をかけるわけでもないだろうし、少しくらい話をもっても犯罪にはならないだろうと少しずつ嘘が混ざり始めたりして、いつのまにか事実と異なるファンタジーが記憶の中では事実として認識されはじめたりして。よくおじさんが若い人たちにする自慢話の類はこんな感じで創造される想像なんだろうなー。ああ、そんな風にはなりたくないと思う一方で、知らず知らずのうちにすでにそうなってしまっているかもしれないという恐怖心が心の片隅に宿ったりもする。

あまりモテた記憶はないが、それを知らない目の前の人たちには「いやー、こんなオレでも若かりし頃はそれなりにだなー」なんて話をしてしまったりして、それを繰り返しているうちに「あれ?オレってやっぱりモテてたかも♡」なんてことにならないとも限らない。そしていつの間にか「若かった頃はモテていたオレ」という妄想が現実とすり替わり、事実を捻じ曲げてきたりしてないだろーなー、おい。大丈夫か、オレ。

たまに実家の親と話をすると「あれ、そんな感じだったっけか?」という現実を突きつけられたりもする。昔から反抗期のない品行方正な親孝行息子だと自覚していたのだが、そういう認識はあまりなかったらしく、一丁前に親の言うことにはそれなりに逆らってきたらしく、それに加えて当時は親が自分のことをどう見ていたかなんて知りもしない初耳づくしの話なんかも飛び出たりしちゃったりして、今更ながら「ふーん、そう思ってたんだー」とか「そんな感じだっのかー」なんてことにもなる。

自分の記憶力にはそれなりに自信を持っていたのだが、それが打ち崩される機会も増えているような気がする。だから枕詞に「オレの勘違いかもしれないんだけどさー」と付け加えることも多くなってきた。なんの根拠もない揺るぎない自負を振りかざすよりは、まだマシな方かと思って生きていくしかないかな。うん、無自覚な輩よりは相当いいはずだ。