再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1147:水星の魔女

すでに最終回も終えているが、未だに話題に上がるほどの人気っぷり。

写真はご承知のとおり、単身赴任の暇つぶしでつくったものである。製作の技術は素人に毛が生えた程度でとてもお見せできるような代物ではないのだが、草月流師範代の技量を活かして(嘘)、生花的な発想にていろいろ組み合わせてみた。テレビの上のデッドスペースに台が置いてあり、その上に飾ってあり、いつでも眺められる状態にある。プレバンで大枚はたいて買ったアクリルスタンドがあると思ったら主人公のスレッタ・マーキュリーとヒロインのミオリネ・レンブランのFigure-rise Standardを支えるのは100均で売っているものだったりもする。物語の世界観を自分なりに表現してみた。これでも少し寂しい気がするので、シュバルゼッテとダリルバルデの兄弟機を加えてファラクトも揃えば、最終回の場面に相応しい状態になるような気もする。また買うのか?ガンプラ

ちなみに、右端にチラッと写っているのは、仕事で福岡に出張した時に購入してきたRG(Real Grade)のRX-93ff vガンダムと、それを載せたBOOSTER BEDだったりもする。

ま、どうでもいい話ではあるが。

機動戦士ガンダム水星の魔女は、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ以来の久々のTV放映されるガンダムシリーズとして大いなる期待を受けて2022年に始まったシリーズ。残念ながら、機動戦士ガンダムの正史とも言える宇宙世紀シリーズではない。初めて主人公が女性になるということで賛否があったものの、終わってみれば非常に面白い現代を象徴するような物語だった。

第1期(2022年10月~2023年1月)の途中で名古屋から福島へ転勤することが予め判っていたため、ゆっくりじっくり観ることを念頭に初回から録画保存。第2期(2023年4月~7月)が終わるまでただただひたすら耐え、全24話を一気に鑑賞するという作戦を敢行し、今に至る。その間、ストーリーを知らないまま主人公機と思しき機体のガンプラを見繕って作り、先の写真のような状態になっている。

物語の中でしばしば、登場する同級生から「魔女」と揶揄される主人公のスレッタ・マーキュリーは、特殊な状況にある主人公機ガンダムエアリアルの機体性能もあって、他の追随を許さない活躍を魅せる。だが、それはスレッタの卓越した操縦技術によるものではなく、ガンダムエアリアルに隠された秘密によるものであることが物語の後半に披露される。長いサンライズアニメ視聴歴を持つ者からすると、重戦機エルガイムの最終回でも表現されていた操縦者以外の第三者エルガイム及びその後に永野護氏により始まったファイブスターストーリーでも明らかにされるファティマ)の存在が大きく影響されたもだと理解することができる。違うか?

スレッタは魔女なんかじゃない、だとすれば「水星の魔女」とはいったい誰のことなのか?

全話を見終えた後に振り返ってみれば、スレッタの母親であるプロスペラ・マーキュリーことヴァナディース事変の最大の被害者であるエルノラ・サマヤこそが、その存在や素顔を仮面で隠す姿の怪しさからして、この物語の象徴である「水星の魔女」そのものなのではないかという仮説が思いつく。

中世ヨーロッパで繰り広げられたという「魔女狩り」を思い返してみれば、異端と呼ばれる奇異な存在を排除する権力者との対立構造に思い当たる。結局、人はいつの時も、自身が認めない、もしくは認めたくない存在を迫害するために持てる権力を奮って排除しようとするのだ。この物語の中でも、学園の中心人物たちが認めたくないスレッタを「魔女」と呼ぶ。一見すると、表面的に表現されるそのセリフなどから「水星の魔女=スレッタ」という単純な構図が見て取れるのだが、スレッタ自身は結局迫害されることなく最後にはその存在が周囲に認められハッピーエンドを迎えることになる。となると、エルノラとその夫であるナディムが開発したGUNDと呼ばれる技術を「魔女の呪い」と称して破壊・押収したミオリネの父であるデリング・レンブランへの復讐を果たそうとするエルノラ・サマヤ=プロスペラ・マーキュリーが「水星の魔女」であると見るのが妥当だ。第2期終盤にてクワイエット・ゼロにて全世界を敵に回してでも我を通そうとするプロスペラの姿こそが「魔女」そのものに見えてしまっても決して不思議ではない。

こちらの考察も同じような内容、いや、もっと史実に基づいたより詳細な検証を行っているので、気になる人はぜひ読んでみていただきたい。

gendai.media

少しだけ残念に思うのは、予算の限界かスケジュールの都合なのか、作画が乱雑な部分が目についたことと、ストーリーが性急すぎてじっくりと楽しめなかったこと。紡ぎ出された物語そのものは非常に重厚で現代的であり、新たなガンダムファンを生み出すことに成功している。だから、今度はより精緻な情報量を持ったアニメーションとして再登場することを期待したい。「Gのレコンギスタ」のように劇場版として再会したいものだ。

ただ、商業的な理由以外でこれが「ガンダム」である必要があるのかも大いなる疑問。やはりバ◯ダイも領界戦機の失敗はしたくなかった、ということなのだろうけれど、古くからのファンからすると、あまり「ガンダム」の安売りはしてほしくない、というのが正直なところではあるのだが。