再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1173:人生の終焉が見えてきた

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つい先日、誕生日を迎えて54歳になった。誕生日は今上天皇とご一緒させていただいている。ちょうど10個下になる。

同じ誕生日であるが故に、戦争経験者だった祖父が「浩」の文字を名前につけてくれたという所以もある。「ひろ☆さの」の「ひろ」は「浩」なのである。

と、そんな名前の由来なんてのはどうでもいい。

問題は「54歳になってしまった」ということの方である。

最近54歳になったってことは、それ以前は53歳だったってことだ。当たり前。

53歳には、密かに期待していたことがある。なんせ、「53」という数字はアレだから。

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そう、「53」は素数だったのだ。

なんて素敵な響きなんだ「素数」。

何者とも相入れない孤高の存在である「素数」には親しみを覚えずにはいられない。

そんな素数の「53歳」になったら、きっといいことがあるに違いない。あんなことや、こんなことや、もしかしたらもっと素敵なことが起きてしまうかも♡...なんて思っていたのだが、実際のところはそんなこたぁ一切なくて、ただ単に、もはや回復不可能なくらいに更に髪が抜け落ち、生やしているヒゲが徐々に白味を帯びはじめ、目尻が垂れ下がると同時にシワも増え、サッカー少年団コーチの頃に散々太陽の光を浴びたせいか顔面のいたるところにシミができ始めた、ただそれだけだった。

でも、まぁ、そんな53歳ではあるものの、日々の徒歩通勤と週末の散歩のお陰で、年齢の割には体力はあるし、車に跳ね飛ばされても大したケガをしなくて済んだし、長年の懸案事項であった腰痛もほぼ解消されつつあるし、五十肩も治ったし、悪いことばかりではなかったような気がする。いや、車に轢かれたのは最大の不幸だろう。ほんと大したことなくて幸いではあったのだが。

そういう艱難辛苦を乗り越えて迎えた「54歳」。残念ながら、2でも3でも6でも9でも18でも27でも割れてしまう、素数でもなんでもない至って単純かつ普通の数字であったりもするのではあるが、昔からなんとなくてはあるが、好きな数字の一つでもあったりする。九九で6✕9=54を覚えたからだろうか。理由は自分でもよくわからない。

ただ、四捨五入好きな日本人からすると、アラフィフにギリギリひっかかり、アラカンの一歩手前ギリギリだったりもする、非常にナイーブで繊細なお年頃だったりもするわけであって、体力的な衰えは感じないではいるものの、自ずとそろそろ人生も終盤に差し掛かり始めているような、そんな最終章的な世紀末的な雰囲気を感じずにはいられない。

なんせ、サラリーマンの人生はいまだに60歳定年がひとつの転換点となっている。年金受給年齢が65歳開始になってから久しいため、希望さえすれば60歳定年以降も何らかの形で会社に残れる道はあったりなかったりするのだろうが、そもそもが「できれば遊んで暮らしたい」をモットーに生きている勤労意欲の欠片すらない駄目な生き物である。「そんな60歳以降も働くなんて考えられへーん、その時になったら真剣に考えればいっかー」なんて思っていたのも束の間、まさに「その時」がもうすぐ目の前に迫ってきていると思うと、おちおち散歩で時間を費やしたり、変なブログめいたものを書いている時間すら惜しいくらい、なのである。

そうか、そろそろ老後のことも考えなくちゃならんのだなー。

いや、ちょっと待て。というか、ちょ待てよ。

そもそも「老後」って日本語もどうかと思うんだよな。「老いた」の「後」って「死」しか想像できないもんなー。不吉すぎるよなー。

そんなことを考えている時に、冒頭のリンク先の記事を読んだものだから、気味が悪いったらありゃしない。かつて日本を統一する寸前まで言った戦国武将も「人生50年~」なんて言っていたとかいないとか、やっぱり人間の寿命っていうのは50年前後が生物学的にも正しい、のかね?

そもそもがB型だから、実は人間よりもゴリラに近い存在である、と自負している。ウホウホ。同じ類人猿であり大型霊長類として親しみを覚えずにはいられないのだが、それらの寿命もだいたい50年っていうんだから、もっと親しみを覚えてしまったって不思議ではない。

しかも、寿命っていうのは遺伝子変異率(遺伝子の壊れやすさ)によって決まっているという。髪が抜け白髪やシワやシミが増えることは、遺伝子が崩壊しつつあるってことと同義なのだろうか。ちょい不安。

そんじゃあ、遺伝子が変異しないように気をつければいいってことになるけれど、そんな方法ってあるのかしら?

やっぱり、ここはドモ◯ルンリンクルの一つも無料でお試ししてみるのが対抗策になる?

んなわけねーか。

最近、昭和時代に活躍した往年の大物歌手や名俳優が80~90歳前後でお亡くなりになるというニュースをよく目にするようになった。親の世代のスターが多いから、それほど懐かしさは覚えないのだが、その大抵の死因が「老衰」だということだ。「老いて」「衰える」ということは、まさに寿命を全うしたということになるのだろうか。きっと、ほぼ健康のまま、ただ遺伝子だけが変異してしまって、生物としての体裁を保てなくなったっていうことなんだろうか。

ボケもせずに元気なままで静かにこの世を去るなんて、理想的な死に様なんじゃないかなー。できれば、家族に迷惑をかけることなく、静かにそーっとこの世を去りたいなー...なんて発想は、まだその手前に20~30数年も残している現段階で考えることでもないんだろうが、齢54になり、そんなことを考え始めた今日このごろである。

 

追伸

ちなみに、例の「龍の如く8」は、ふつうに楽しんでいたらプレイ時間125時間ちょっとでエンディングまでたどり着くことができた。まだスジモンカードバトルとドンドコ島はクリアーしていないので、まだまだクリアー後のハワイや横浜異人町や神室町を徘徊することになるのだが。8000円ちょっとでこれだけ楽しめたのだから大満足である。