再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1121:マスク

2023年3月11日(土)

東日本大震災からもう12年も経った。

まさかその震災の震源地に近い場所に住むことになっていようとは当時は想像すらしていなかったと思う。いまは東北地方福島県にいる。

2011年3月11日(金)の震災当日は東京にいた。会社に出勤している最中の出来事だった。その際の記録は詳細にブログとして残してある。

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ここから数回に渡って当時身近で起きた出来事や周囲で起きる様々な反応に対して考えていたことを残している。この時期になると何故かこの件を読み返してしまう。

たぶん、これ以上の臨場感をもって当時のことをいまさら語ることはできないので、当時のことは当時のままに、この記録を読み返すことで嫌でも思い出すという作業が今後も続いていくんだろうと思う。

それと同じくらい、生きてきた中で起きたとんでもない事象としての新型コロナウイルスによるパニックについてはどこにも何も残していないことに気がついた。なので、ここ数年のうちに周囲で起きた出来事についてもここに記録しておこうと思い立った次第。いろいろ調べないと正確なことは書けないのだが、それも面倒なので記憶だけを頼りに書けるところまで書いておくことにする。

2020年

2020年3月までは群馬県に住んでいた。平日は群馬県にある会社に通うために単身赴任先のレオパレスのアパートから徒歩通勤。途中でセブンイレブンに立ち寄って必ず缶コーヒーを買って外の喫煙所で一服してから出勤していた。そのセブンイレブンの店員さんとも毎日顔を合わせるので仲良くなり、異動の内示があった直後に挨拶に行った覚えがある。休日は車で埼玉に戻りサッカー少年団のコーチ稼業を続けることができていた。

2020年3月当時、群馬県にはまだ新型コロナウイルス感染者は数名いるかいないかという状況だった。確か岩手県が最後まで感染者が出なかった県だと記憶しているが、都心を除く地方はどこもそんな感じで感染に対する恐怖心はまだそれほど芽生えていなかった。

ただ、感染防止のためのマスク着用・三密回避などの言葉はそんな地方都市にも伝わってきており、感染者数の多寡によらず都会と同じような感染防止対策は実施していたし、週末に試合があるはずのサッカー少年団の活動にも試合・練習など「集まる」ことへの禁止指示など、多大な影響が出ていた。4年間を共にした選手たちの卒団式も満足に行うことができなかったのが心残りである。

そんな最中に異動の内示。今度の行き先は愛知県名古屋市。結構な数の新型コロナウイルス感染者が存在する都会に飛び込むことになる。そこで初めて感染に対する恐怖心が芽生えた記憶がある。そうは言ってもお仕事である。3月の末に引越しをして名古屋に住むことになる。

当時は、新型コロナウイルスがどういうものなのかが明らかではなかったこともあり、感染することに対する恐怖心は、ワクチンを何度も接種している今のそれとは異なる。新型という名がつくウイルス=「未知なる恐怖」という畏怖がまだまだ世間の認識として浸透していた。県を越えての移動自体が人としてやるべき行為ではないという雰囲気が満ち満ちており、2020年5月のゴールデンウィークは埼玉に帰省することはできず、名古屋に釘付けとなった。まだ当時は市中に溢れていたガンプラをセコセコと購入しては単身赴任寮の部屋で作って時間を潰していた。記録によれば、だいぶ以前に購入して大事に取っておいたMG RX-78-2 GUNDAM Ver.3.0を作った直後に、MG RX-93 ν-GUNDAM Ver.Kaを作っていたようだ。それと並行して、PS4でリメイクされたFinal Fantasy VIIもプレイしていたらしい。他にやることがない、というか部屋から出ることもままならなかったことを思い出す。確か緊急事態宣言下においては、必要な食料品や生活必需品の買物以外の外出は控えるように言われていた。そんなこともあって、いま現在の習慣になっている散歩はまだこの頃は始めていなかったみたいだが、飯を食べに出かけるついでにかなりの距離を歩いていた様子もある。その頃から「散歩」の片鱗があったということか。Amazon Prime Videoばかり観ていたのもこの時期だったか。タダで映画が観られるってことで、さんざん観倒した記憶がある。

在宅勤務とリモート会議だらけになったのもこの時期だった。仕事柄、在宅勤務をしてばかりだと生産性が下がる職種であるため数回チャレンジして自分には向かないと諦めた。寮に引き籠もって仕事をする機会も稀だったが、出張の機会はもっと激減し、ほぼなくなった。他の拠点とのやり取りもメールではなくリモート会議になり双方向で短時間に用件を済ますことができるようになったし、無駄な移動時間もなくなったことだけが救いだった。社外からの来客も激減した。というか外からウイルスを持ち込まれても困るので、互いの社の行き来も憚られる世の中だった。

それなのに、東京から偉いさんが来ることになり四苦八苦した記憶もある。こんな時に来てくれるなというのが正直なところではあるが、そこは一介のサラリーマン、感染対策もバッチリ施して臨んだものの、参加者限定の懇親会で「席を立つな」「お酌をするな」と言ったにも関わらず、酔っ払ったおっさんたちがマスクを外して大声出しながら徘徊する様を見て呆れて物が言えなかったことまで思い出した。不謹慎で申し訳ないが、あの時誰か感染者が居てクラスターにでもなればよかったんじゃないかとすら思った記憶がある。ボク自身は場をセッティングしたスタッフ側の人間だったので、マスクを着用したままいっさい飲まず食わずでその場を凌いだことだけはハッキリと思い出した。

そんな我々庶民の間では当然ながら飲み会の機会はなくなり、寮の部屋に他人を招き入れて飲むことも禁じられていたために、リモート飲みが当たり前になった。以前から付き合いのある会社以外の友人たちとも月に1度はリモートで飲むことになり、互いの近況や東京の新型コロナ感染の様子などを直に聴くことができた。最初は無料だったZOOMが有料になってからはLINEでの飲み会が主流になった。新型コロナに関係なく、東京と名古屋とその他にバラバラになってしまった友人たちが一同に会する機会がなくなってしまったこともあったので、リモートでも生存確認が出来て飲むことができる文明の利器には大いに感謝しなければならないと思っている。

海外から来た大型豪華客船でのクラスターや第1波と呼ばれる感染者の急激な増加などもあったものの、夏休み前の7月末にはようやく埼玉に戻ることができた。確か往復の新幹線がやたらめったら空いていた記憶がある。東海道新幹線の名古屋ー東京間の利用だったが、指定席車両で乗車率はだいたい20%以下。グリーン車に乗っている人はまばらだった。東京駅から埼玉方面へと向かう高崎線宇都宮線の車内の窓は開けっ放しだったことを覚えている。JRさんも大変だなーなんて思ったりしていた。

Go To トラベルなる施策が展開されていたのもこの頃だったか。一部ではこの施策が全国にウイルスを蔓延させた愚の骨頂なんて言われていたりもしたな。うちの家族もここぞとばかりにコイツを利用させていただいて、夏休みには自家用車で貸別荘に行ってドライブを満喫したはずだ。夏の暑い最中ではあったが、逗子・葉山・鎌倉方面に家族で行った。夕食は地元のスーパーで買い出しして、貸別荘で作って食べたんだっけか。なんか有名なプリンを買ってきて食べた記憶がある。たしかコレだ。

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秋頃からプロバスケットボールのB1リーグの試合に携わることになったが、残念ながらアウェイの試合への帯同はできなかった。本来であれば、北は北海道から南は沖縄まで全国各地の試合に出向き、その土地々々の美味しいものを食べる...なーんてことができるはずだったのだが、新型コロナウイルスのせいでその機会も一切合切と奪われることになった。もっぱら名古屋城近くのアリーナか小牧の体育館に行く程度だった。プロの試合を無料で観られる(ただしスタッフなので立ち見)だけで十分と言えば十分なんだが。

女子バスケのWリーグにも携わることになり、愛知県内の刈谷蒲郡・岡崎・豊橋など近隣の試合には帯同できたが、やはり県を超えた地方への遠征には帯同することができなかった。皇后杯の準々決勝が行われる代々木第二体育館にだけは帯同が許されたが、11月当時の東京の新規感染者数が800人を越えたというので恐怖の中での帯同だった記憶がある。800という数字は今から考えると大したことない数字に見えるかもしれないが、当時はそれでも過去最高を日々更新している最中の出張だった。そんな状況だったし週末ではなかったので、めったにない東京への出張にも関わらず、埼玉の自宅に立ち寄ることもなく日帰りで名古屋に帰った。

バスケの試合がない休日、この頃から散歩をはじめた記録がGogleカレンダーに残っていた。単身赴任寮から歩いて10分のスーパーに買物に行くのに、わざと遠回りして2時間かけて買物に行くという奇行が目立つようになってきた。相変わらず平日夜と休日にはガンプラを作りまくっていたが、やはり運動もせにゃならんと思い立ったのだろう。遠回りついでにナゴヤドーム近くのGUNDAM BASE SATTELLITE NAGOYAに立ち寄り、更にガンプラを追加購入していた様子も記録に残っていた。

2021年

当然ながら、年末年始は埼玉の自宅帰省した。正月の実家への挨拶は、祖父祖母に万が一新型コロナを感染させてはならないと子供らが嫌がったので、一人で訪れることになった。年寄りと基礎疾患のある人は新型コロナに感染すると重症化する確率が高いと言われていたし、若年層は感染していても症状がない場合もあると言われていたからだ。名古屋から新幹線に乗って帰ってきたボク自身の方がウイルスを持ち歩いている可能性はあったはずなのだが、それでも一人で実家を訪れ、持参したiPhoneと子どもらのiPhoneをリモートで繋いで、画面越しに正月の挨拶をさせた。

CLUB HOUSEが出てきたのもこの頃だったか、休日に歩きながら喋っていた記録が残っている。そのちょっと前にMAKUAKEでSHOKZのOPEN COMMの先行投資話があって手に入れていたので、それを試してみたかったんじゃないかと思う。

オープンイヤー型の骨伝導ヘッドフォンに興味があったので、ここぞとばかりに手を出して何割引きかで購入した。リモート飲み会や在宅勤務でも使えそうだったし、製品化する前だったのでいまの定価以下の金額で手に入れた。コイツは今でもリモート飲み会で大活躍している。

この頃から毎日の電車通勤を止め、定期券は購入したままで、体調が良くて気が乗った時は徒歩通勤するようになった。単身赴任寮から会社までの片道4kmちょっとの距離を歩くだけなので大した運動にはならないし、スーツを着ていたので行きに汗だくになっても仕事や職場の周囲に迷惑になるだけなので、主に帰りの陽が落ちて涼しくなってからの時間帯に歩くことにした。それと合わせて、休日には本格的な散歩活動を開始。10~20km程度の散歩を休日土日の両日に、天候さえ良ければ必ず実施するようになった。派手な速乾性のサッカー練習着を着て散歩していたせいか、街で会社の人に見かけられる回数も増え、アイツは休日に何をやっているんだ?と影で言われるハメになるのだが、そんなこたー知ったこっちゃなかった。まだまだコロナ影響で人と会う機会も少なかったので、この状況で運動する手段としては散歩が最適だと信じてやまない自分がいたんだと思う。たいていは土曜日は午前中、日曜日はワイドナショーとミライモンスターを観終わってからの午後に散歩するのが習慣になった。よくよく考えてみたら、サッカー少年団の練習も土曜日の午前中と日曜日の午後だったので、以前と変わらない生活スタイルになっただけ、という話なのかもしれない。

2021年からワクチン接種が本格化していたはずだ。住民票は埼玉の自宅になっていたので、単身赴任中のワクチン接種はどうしたらいいのか迷っていたのだが、結局は会社での職域接種となったので何とかワクチンを接種できた。1回目には副作用がそれほどなかったのだが、その直後に打った2回目の副作用はひどく、38.5℃の熱が出て寝込んだ。ただ、事前の備えは十分で、市販薬の解熱剤と熱ピタシート、ポカリスウェットとウイダーinゼリーは何とか入手して単身赴任寮の部屋に常備してあったので翌日は何とか在宅勤務で乗り切った。翌々日には熱も下がり、土曜日だったということもあって早速なまった身体に鞭打って、いつもの10kmコースの散歩をこなしていたようだ。

この年は長男が大学受験を控えた高校3年生だったこともあって、家族旅行はなかった。夏休みに埼玉に帰省はしたが、ドライブがてらに赤城山の上にある大沼にドライブにでかけた程度で、帰りに道の駅を回って食材を買い溜めただけにとどまった。

学校の成績がまぁまぁだった長男には指定校推薦の受験を勧めた。ボク自身がそうだった(指定校推薦で大学進学した)ってこともあるが、行きたい大学があるのだったら、高校3年生のうちに2回受験するチャンスがあるということをミスミス見逃す手はないという話をした。行きたい大学も学部もいまひとつ定まっていない長男ではあったので、そんな話は通用しなかったのだが、受験するよりは楽だという推薦を選択し、そこそこの大学に推薦で入学することができたのだから御の字だ。

地元の埼玉へは2ヶ月に1度のペースで帰っていた。11月にはめずらしくカミさんと長女が名古屋に遊びに来たりもした。ひつまぶしが目当てだったらしいので熱田神宮参拝のついでに食べた。その他にも車であちこち連れ回してみたものの、結局どこに行っても≒大宮くらいの繁華街の集合体である名古屋(名古屋の人、ごめんなさい)はお気に召さなかったようで、それほど盛り上がらずに帰路についた様子だった。

そういえば、名古屋での一番の発見は、銀座天龍の支店があることだった。

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かつて、あれほど食べた銀座天龍の餃子であったが、群馬に居た3年間では一度も口にすることがなかった、はず。いや、東京に出張した時に食べてたかも。

ところが、名古屋には名古屋駅のJRゲートタワー12Fに支店があることを発見。それほど足繁く通ったワケではないが、名古屋駅を訪れる機会があれば必ずと言っていいほど立ち寄り、銀座天龍のジャンボ餃子を食した。

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かつてはこんなアホなことにも挑戦していたくらいだから、飽きてしまったのかもしれないと自分でも思っていたのだが、いくら食べても飽きないから不思議だ。ただ、銀座本店の餃子よりも少しだけ水分が多くて柔らかい気がしないでもなかったが、それでも何回も食べに訪れてしまった。当時1,050円程度だった餃子ライス(小ライスと高菜が付く餃子)が1,400円もしたことにはビックリしたが。

仕事のことはあまり詳しく書けないのだが、この年はいろいろあって大変だった。自分が何かをやらかしたワケではなかったのだが、役柄上、公(おおやけ)の立場でその役割を振る舞わねばならなかったので、例え演技だとは言えキツかった。その仕事のストレスは毎週土日の長距離散歩と月1で山に入って下草刈りや間伐で木を切り倒す森林ボランティア活動とプロのバスケの試合の手伝いで気を紛らわすしかなかった。

あと、マスクを常時つける生活が当たり前になっていたので、何年かぶりにヒゲを生やすことにした。どうせマスクをつけているんだし見えないだろうという魂胆であって、決してヒゲを剃るのが面倒だからという理由ではない。ヒゲを生やしたことがある方ならよくご存知だと思うが、ヒゲは常時シェーバーで剃って生やさない方が楽なのだ。ヒゲは伸びすぎるとみすぼらしくなるので手入れが大事。まるで盆栽を育てるが如く、ハサミでチョキチョキしなければならないのだ。それも面倒なのでヒゲ専用のバリカンを購入した。

コイツを使って、週に1度は風呂場で3mm程度に揃えてやる必要がある。

最近は、ハゲているのに床屋代が一向に割引される気配がないことに業を煮やし、コイツを使って坊主頭にしてみた。おかげで床屋代がかからなくなったのでいい節約になっている。浮いた小遣いで買うのはもちろんガンプラであるが。

2022~2023年

2022年も仕事ではいろいろあったが、それをここで語るわけにはいかない。仕事のストレスと新型コロナのストレスのダブルパンチがまだまだ続く。

世間の様子は相変わらずで、新型コロナウイルスの新規感染者数が減ったり増えたりの繰り返し。5月にワクチン3回目を接種した際の副反応も2回目と同じかそれよりもちょっとひどかったくらいの違いしかない。ちなみに4回目は副反応になった際の対応が面倒でここに至るまで打たず終いである。

ここを再開するきっかけとなった2022年11月の再びの人事異動での名古屋→福島への移動はすでにご存知のとおり。都会から少し離れた地方都市に住むことになり、ウイルスへの恐怖から少しだけだが離れた気がしている。とは言っても、今度の職場ではそれなりに感染者が出ているので油断はできないのではあるが、弱毒化されたのか重症化するケースもそれほど多くなくなっていることもあり、感染すること自体が以前よりもカジュアルになりつつあるので、例え近くで感染者が出たとしても以前ほどには驚くことはなくなった。

結局、新型コロナウイルスの猛威は留まることを知らず、再三再四押し寄せる波ごとに感染者数が増加し、当初言われていた「with コロナ」の生活が当たり前のものになってしまった。毎朝熱を計り、マスクを常に装着し、会社に行けば眼の前に透明なパーティションがあるのが当たり前で、食事する際は黙食が推奨される世の中である。

ボク自身は、徒歩通勤や散歩の時、歩きながら誰かと話をするワケでもないので、マスクは顎の下に装着している。つまりマスクはしていないも同然の佇まい。それで誰かに文句を言われることもなくなった。会社で仕事をする際には、通勤用のスポーツマスクとは違う不織布のマスクを装着している。やはり会話をする機会も多く、席でリモート会議をする回数も増えているので、発言する際にはマスクをしないと煙たがられる可能性があるし、万が一周囲の人を感染させてしまう感染源になる可能性もゼロではないので、これまでは律儀にマスクを常に持ち歩き、感染させてしまう恐れがある場面ではマスクを装着することが是であった。

それが明日2023年3月13日から少しだけ様子が変わることになるはず、である。

以前から、外出時はマスクは外しても構わないと言われていたはずなのだが、真面目な日本では常時マスクをすることが正となってきていた。それが明日からは「個人の判断」に委ねられることになる。果たしてみなさんマスクは外すのだろうか?

今から考えると、当時名古屋で一緒に仕事をしていた人たちのマスクを外した顔はあまり見る機会がなかったはずで、今後お会いした時に「どちら様でしたっけ?」となる可能性もある。食事をする際にパーティション越しにマスクを外したご尊顔を拝見する機会があることにはあったのだが、はじめて見るノーマスクの顔の下半分に違和感を覚える人もたくさんいた。そんな口元だったのね、なんて。

ということは、明日から福島の仕事仲間の顔下半分を目の当たりにすることになるのね。みなさん、どんな顔をしているのかしら。

あ、ヒゲ、剃ったほうがいいんかな。

ま、いいか。めんどうくさいし。

追記

2023年3月13日(月)に会社に行ってみたら、マスク装着率90%以上だった。

さすが日本人...。もちろんマスクをしていないのはボクだけ。