再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1141:「孤独である」ということ

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少し前に「基本的に単身赴任生活は退屈の宝庫」みたいなことを言っていたような気がする。

家族と離れて暮らしていると、平日は会社から帰ってフロに入って飯を食ったらやることなくて酒をかっくらって寝るしかないし、休日はほぼ何もすることがないし、誰とも会わないから会話することもなくて、この世の中にはオレ独りしかいないんじゃないかなって「孤独感」を味わうハメになって、精神的にもどんどんと追い込まれて行き、「オレ、このままでいいんだろうか?」なんて答えのない自問自答を繰り返して、自分自身をがんじがらめにしていまい、奈落の底まで落ちていく...なーんてことは一切なくて、気まま出し気楽だし、いたって快適である。 ※カミさんには内緒でお願いします。

幸いにも、7年目に突入した単身赴任生活を過ごす中で、「孤独感」を感じて内向的になったり、アパートの部屋に籠もって落ち込むなどといった状態にはならずに済んでいるし、ホームシックにかかってすぐに遠く離れた自宅に馬鹿にならない交通費を使って帰ってしまうような短絡的な行動に出ることもない。

それというのも、どうやら元から「孤独であること」を好む傾向が自分にはあるらしく、単身赴任という一見寂しさの塊のような生活にもすぐに慣れてしまい、悠々自適というか、それなりにエンジョイしてしまっている自分がいたりする。

先のリンク先にも書いてあるが、「孤独であること」と「孤独感を感じること」では雲泥の差があるらしい。

周りに人がいようがいまいが「孤独であること」を選択する人はそれなりにいるらしく、孤独な時間を過ごす中でポジティブな効果を得ることもあるらしい。群れを作らず一匹で過ごす狼=ローンウルフのような格好いいものではないかもしれないが、確かに、煩わしい人間関係の真っ只中にいて、あちらこちらに迎合し周囲に合わせて生きるよりも、誰に影響を受けるでもなく常に自分らしくいたいという強い願望はある。いいものはいいし、悪いものには近寄りたくはない。人が考えることとは違う発想をしていたいし、何なら同じ考えを他人に先に言われてしまうとちょっとばかり悔しかったりもする。

会社などチームで行動する際には、それなりに周囲に同調し、同じ方向に向かって、時には率先垂範したりなんかもできる。家族と過ごす際も、カミさんや子どもたちの希望を優先しがちだし、自分のことは最後に持ってくることも別に苦でなはい。だが、プライベートの本当の自分は、誰ともつるむことなく一人で行動することを好み、他人の嗜好に合わせる協調性もなく、我が道をひたすら突き進むことが多い。

それで「寂しく感じることはないのか?」と問われても、寂寥感みたいなものを感じる場面はなく、むしろ自分が好き勝手できることの満足感や高揚感の方が勝っている。

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孤独を好む人は、脳のある領域が発達しているという説がある。それが果たしていいことなのかは判らないが、言われてみてれば確かに、他人よりも妄想癖があり、勝手に想像して自己解決してしまう傾向がなくはない。過度なストレスを感じてしまう場面があったとしても、自分の都合のいいように解釈してそのストレスを緩和することができたりもして、なんだかんだ言って自己解決してしまうことの方が多い。

一方で、自分には当てはまらないまでも「孤独であること」をネガティブに捉えてしまう人が大勢いることもまた事実だ。

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まさか無人島で一人で生活しているなどという人は現代社会にはいないだろうから、周囲にはそれなりに人が存在するはず。なのに「孤独感」を感じて塞ぎ込んでしまう人に必要なのは、「自分を自分だと認めてくれること」とか「誰かに必要とされている」という承認欲求そのものなのかもしれない。

周囲に友人や仲間がいたとしても、孤立してしまい、他者に一切関心を寄せられずに寂しい想いをする人たちはいる。その人たちが感じているのが「孤独感」というものに違いない。孤立無援であることを望む者はいない。そんな一人でいることの寂しさに耐えかねて、誰かと繋がろうとするから、見ず知らずの者同士が気軽に繋がることができるSNSが大流行するのだろう、と想像できるのだが、それだけでは「孤独感を感じる」自分を慰める術にはならないとも言われている。

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在宅勤務は通勤もなくて楽でいいのだが、メールやチャットや音声通話だけでは満たされない一体感のようなものを欲してしまいがちになる。上手く相手に意図が伝わらないから対面で話すことの重要性なり偉大さが、ここ数年のパンデミックを経験して身にしみた。オンライン飲み会も楽しいが、リアルに対面して話をすることに勝るものはない。

だからといって、周囲に大勢の人を従えて生きることを選択するかというと、そういうことではない。それはそれで煩わしさの方が勝ってしまう。どちらかを選べと言われれば、やはり「孤独であること」を選んでしまう。その方が楽なのだ。

「孤独であること」を好む人は、普段の生活でそれなりに承認欲求を満たせているから、たまには「孤独」であることを味わいたいという欲求が勝るのだろうか。自分で想定している以上の過度な役割を演じざるを得ない立場まで追いやられ、それを何とか演じきった後に来る徒労感から、あえて「孤独であること」を選択するのかもしれない。

少なくともボクの場合はそうだ。

ちなみに、「孤独と孤独感の違い」を流行りのCHAT-GPTに質問してみたら、明確な答えが返ってきた。

「孤独」は一人である状態を指し、他の人との関係や繋がりがない客観的な状態を言う。

一方、「孤独感」は周囲に人がいても心の中で孤立している感情であり、孤独を感じる心理的な状態で主観的な感情である。

なるほど、そういうことなのかもしれない。

やっぱり「孤独」ではいたいけど、「孤独感」は味わいたくはないものだ。