再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1149:dark side

人は時として闇に陥ることがある。

長き葛藤の果てに訪れる諦念、期待していたことへの突然の裏切り、実現しそうもないのに延々と繰り広げられる手前勝手な妄想、そんな有象無象を繰り返した後、たいていの場合は深い失意と共に奈落の底へと誘われることとなる。

はたまた、漆黒の炎を纏いし憤怒、復讐の念に駆られることもある。見境もなく行動し、自身を律することができない制御不能状態、思っても見なかった突飛な行動を取る可能性は十分に考えられる。アンガーマネジメントなんて万人に効用があるはずもなく、ただただ怒りに身を任せて激情に身を委ねてしまう...なんてこともあるかもしれない。

別に、闇落ちすることも悪いことではない。己の不甲斐なさに嫌気がさし、猛省をして次の機会に活かすこともできるだろう。現実を思い知ったことで「所詮この世の中なんてその程度のくだらないものかもしれない」と割り切って魅せるのもいいかもしれない。一瞬の怒りに身を任せてみたら、限界突破してまだ見ぬ潜在能力の向こう側を開花させるなんてことも...いや、北斗の拳の読み過ぎかもしれないな。

いずれにしても、自身を起因として己の身に降りかかってきた事象ならば、それもまたいい経験だと後から振り返って、何なら自虐的な笑い話や他人に言って聞かせる教訓めいた物にできるかも知れない。

ただ、第三者が絡んでくるとなったら話は別。

掲題にある曲の一節、サビ後のブリッジ部分にこんな歌詞がある。

あなたの中の私を 勝手に愛さないでよ

あなたの中の私は もう息をしてないわ

あなたの中の私は あなたが仕立てたまがいもの

あなた何を見てたの? それは私じゃない

人は己の価値観で物事を評価しがち。勝手に決めつけ、勝手な期待を寄せて、勝手に落胆する。こちらがどう考えているとか、どう思っているとか、どうしたいかとか、そんなものは一向にお構いなしに、自身が思い描いた通りに振る舞って魅せることを期待し、身勝手な評価を下す。こっちとしては、そんなもんははなから聞いてねーし、知ったこっちゃないから、こちらはこちらで自分の本能に従って行動するのだが、それに対して執拗に理不尽なイチャモンをつけてきたりもするから、非常に厄介であることこの上ない。

自分と相手との関係性が、親子だろうが、夫婦だろうが、友人知人であろうが、上司部下であろうが、この一方的な片思いとも言えるすれ違いは、いつの時でもふいに起きてしまう可能性がある。それは時として、上位から下位への称賛を伴う前向きな期待ではあるのだが、こちらからぜひにとお願いしたことでもなかったりするので、はっきり言ってはた迷惑な話であることに変わりはない。

他人の人生にとやかく口を出すのであれば、「あなたはその全てにおいて責任を全うできるのですか?」と問いたい。

こういう勝手な期待を寄せるケースにおいて必ずといっていいほど付きまとう「良かれと思って」という言い訳、それが格好の口実となっている。相手を慮ってそうした、と言いたいのだろうが、「あなたが利己的に相手に投影した理想的な姿を実現させようとするために講じた一方的かつ尊大な行為である」ことに変わりなく、双方の合意形成を経た上で実行したというものでは決してない。もっと簡単にいうと「一方的な決めつけ」であり、「余計なお世話」だ。

「常識的に考えれば」「一般的には」「ふつうはね」という根拠の薄い枕詞をつけた理由を並べ立て、同調圧力を強いてくる厚顔無恥な輩には、何を言っても理解してもらえないだろうと、早々に諦める。それが一番賢い選択かもしれない。こちらは相手に何も期待しなければいいだけだ。

なぜ人は、自身では制御することができるはずもない赤の他人に勝手に妙な期待を寄せてしまうのだろう。幻滅する結果が予め判っているのであれば、最初から何も期待しないで済むのだろうに。

結局は、人と人とが理解し合えるなんて世界は、スクリーンの向こう側で繰り広げられるフィクションの世界、まさにファンタジーとも言えるだろう。非現実的な誰かの「こうだったらいいな」という妄想が必ず実現されるという保証などない。相互理解なんていう理想郷はどこにも存在しないのかも知れない。

gendai.media

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ワールドカップのサッカースタジアムで試合終了後に率先してゴミ拾いをする日本人が世界中から絶賛されてはいるが、あれをやらないといけない雰囲気に苦しんでいる日本人もいるのではないだろうか。

日本人は社会を維持するために悪意ある行動や意地悪な考え方を培ってきた。前近代の村社会において最大の正義は「共同体の維持」だ。手を取り合わなければ生きていけないからこそ、秩序を乱すものには罰を下してきたし、はじき出されれば生きていけない。とすると、日本人の礼儀正しさや親切さは社会から村八分にあわないための同調圧力に起因するものであると言えるのではないか。

そんな雰囲気、日本中のあちらこちらに蔓延しているような気がする。これではますます、相互に理解し合える日が来るなんて全く信じられない。