再☆煩悩の赴くままに~日々是反省~

自省を込めて貴女に贈る鎮魂歌

1169:どうしますか、あなたなら?

 

ここでちょくちょくご紹介させていただいている阿部真央さんのアルバム「まだいけます」は、数年前から変わらずここ最近で一番お気に入りの不動かつ至高のアルバムである。残念ながら、最新アルバムではない。発売は2020年1月だからもう4年近く前の作品になる。どこら辺がお気に入りなのかというと、最初の曲から最後の曲まですべて好きになることが最大の理由になる。コンセプトアルバムのようにストーリー性があるアルバムではないのだが、一貫したテーマのようなものを感じる。全ての楽曲がよい。なので、その曲の歌詞から得たインスピレーションのようなものをテーマとしたコラムをこちらでちょこちょこ書かせていただているというもの。

ぜひ手にとってお聴きいただけると、私もうれしい。

今回はそのアルバムの中の楽曲から「どうしますか、あなたなら」をチョイスしてお届けする。ぜひその歌詞もネットで検索するなり、曲を聴くなりして予習していただけるといいかもしれない。

自分自身が何者になりたいのか、なりたかったのか。

幼き頃の夢に思いを馳せても、いまや思い出すことすらできない。そんな人並みの「夢」みたいなものを持っていた記憶もあまりない。

高校生の頃には「どうせサラリーマンになるんだろう」と達観していた自分がいる。一方で、そんな普通の人生を送ることすら困難を極める時代に生まれているという自覚もあった。いわゆる一般の人が考える「ふつう」であることが、いかに難しく様々な艱難辛苦が待ち受けている未来も想像していた。いつまで平穏無事な人生を歩めるのか、常にビクビクしている自分もいた。高校を卒業したらそこそこの大学に進学する、それ自体がいろんな理由で困難な友人が周囲に存在したせいでもあるのだろう。なので悲観的にサラリーマンになることを自ら選択したというわけではなく、普通で人並みの人生を送ることが「夢」であったということになるのだろうか。

一方で、人としてどうありたいか、ということも考えていた。

もちろん、周りの人からは嫌われるよりも好かれたい。特に意識はしないものの、できれば「あの人はいい人だ」と思われたいという願望は自然に芽生える。それ故の八方美人。己というものをあまり持たず、周囲の者には迎合し、争い事や諍い事の仲介を買って出ることで存在を知らしめるようなやり口を駆使していた。人が嫌がるようなことを率先してこなす一方で、徐々にうまい手の抜き方みたいなものも覚えるようになる。

だがしかし、口にすることはまずなかったが、周囲のライバルと思しき人たちには負けたくないし、できればその中で常に一番でありたいと強く願う自分がいることにも気づいていた。その想いをひた隠しにしながらも、周囲とうまくやることが自然の流れで身についていくことも自覚していた。それが自分自身という存在なのだと、終始俯瞰的に見つめる自分がいることにも気づいていた。

そんな、何事も万事うまくやりこなす自分自身が理想だと、ずっと思っていたのだが。そんな自分を目指して努力して、思い描いていた状況に自分自身が置かれた時に、ふと気づく。

「あれ、これが本当に目指していた自分?」

「こんなものになりたかったんだっけか?」

「なんか思ってたのとちょっと違うような...」

所詮は人間、そんなものである。

周囲の全てとの調和を目指すと自然にどこかに歪みが出てくる。その世界は自分が目指していたものではないことにも気づく。その歪みにメスを入れる勇気が芽生えたのは50歳を過ぎた頃だったろうか。急にせきを切ったように尖り出す。出る杭は打たれるのが世の常ではあるのだが、かなり上の立場に立ってから尖り出した輩を咎める者はそれほど多くない。自分よりも立場が下の者はみな遠慮し、自分よりも立場が上の者は呆れて放置せざるを得ない。水を得た魚であるが如く、傍若無人を繰り返すことが可能であることが、これまた面白い。

とは言っても、パワハラモラハラを繰り返している訳ではない。ある程度の節度は弁えて丁寧な言葉を使っているつもりではある。ただ、自分の想っている正論をぶつけているだけだ。それに対して周囲の者が抗弁をする術を持てないのも理解できている。なんせ正論だから。「お前の歳でそんな青臭いことをよく言えたもんだ」とツッコまれることだけは想像していたが、そんなツッコミすらないから、自由気ままに物申すことができ、悦に入って止まらない。

その一方で、時に多少は不安になることもある。偉い人に「このままでいいんですかね?」と聞いてみたことがある。「まぁ、ひろさのはひろさので、いいんじゃねーか。」という答えが返ってきた時、心が救われるよりも前に、なるほど、と思った。結局、どんな自分であろうと、それまでに培ってきた軸となる人間性はあまり変わっていなかったんだなと。表現力が多少異なるだけで、芯の部分は以前と変わらず、自分の周囲という狭い世界の出来事ではあるものの、全て調和を目指しているのが自分なんだということに気づく。やはりバランスって大事だ。

結局のところ、一度死んで生まれ変わって人生やり直さないと、そんな簡単に根本から変われることはないんだな。これまでの積み重ねで自分という人間ができているのだとしたら、「どうしますか、あなたなら」って言われてもどうしようもない。きっと生まれ変わったとしても、また同じ過ちを繰り返し、試行錯誤することになるのだろう。